1973年10月、反措定発行所から刊行された三枝昂之(1944~)の第1歌集。装幀は峯田義郎。
大淀川を越えて青島の鮮明な海岸線に心をゆすぶられるとほどなく、鉄道路が内陸に向かいはじめ、およそ二時間で日向の南の果て、志布志湾に面する串間市に到達する。
七二年夏、ここでの伊藤一彦・福島泰樹との酒宴がこの叢書の構想を生み出し、酔いつつかわした激論の中で二人がくれたアドヴァイスがこの歌集のはげましとなった。
作品については解説があるので饒舌を避けたいが、各章のタイトルにこめたイメージを語ることによって、「短歌とは何か」というような大上段とは別の僕の歌作の志を示しておきたいと思う。
正規兵とは、学園闘争におけるいわゆる「正門突破主義」にみられるような六〇年代の著しき倫理主義的な闘争を担ったおびただしき「われわれ」に対するわが志をこめた呼称である。
この正規兵たちがみずからきりひらいた情況の中で自己解体を遂げた地点に、たとえ「赤軍」を自称する人々が出現しようと、この時代においては全き兵士たりえないであろう。今はまさしく、兵士なき時代、すなわち、全き正規兵を志向したとしても正規兵たりえない存在としての自己、を余儀なくされる地点にこそわれわれは立たされているのではないか。
その時、あの正規兵たちが口ばやに発しつづけたおびただしき自己限定のアジテーションはどこへゆくのであろうか。
おそらくそれは、かのアジア西辺の聖地ちかくで砂にまみれている「世界赤軍兵士」が情念のたぎりを祈りにこめて、「オリオンの星……」と発する一語と同じく、純粋に観念的な何かへの自己同化の希求を象徴する片言隻語となってあらわれる以外あるまい。
そして、われわれ定型詩人もこの失語の時代にあって、おびただしきことばのつらなりを定型に注ぎこむことによってその失語の情況を逆証明するか、あるいは、みずからのかぼそく持続する志を、片言隻語をもって挫折してゆく志士達への献辞にこめて、自己確認する以外のどんな行為をもって自己の表現としえるであろうか。
この歌集に頻出するところの「樫」もそれゆえにトルストイの「戦争と平和」における「樫」の意味とは異なるであろう。アウステルリッツの敗戦から帰ったアンドレイが朋友ピエールとそれぞれの志とその危機を語りあいながら森を徜徉しつつ、「樫はどこだ……」と発し、聳然たる樫の枝々を見上げるシーンがあるが、そこにおける樫は世の終末への予感であり、別のところではやさしき恋しの象徴にもなる。しかしぼくにおける樫のおびただしき四肢の張りはなにか男の長髪の戦ぎにちかく、それは達しようとして終に達せられない悔しみめくものにこそ重なってゆくのだ。
七三年春。短歌にあてられたスポットライトは岡井隆をはじめとする歌人達の運動の正当な結果ではあるが、同時に再びあのおろかしき国家的浪曼主義者を生み出そうとする行為をもあわせもっていて、その根はどうやら出そろってきている。この陰湿な土壌がその甘き誘惑に耐えられるかどうか、いましばらく見守り、それから必ず反撃しつくそうと思っている。
集中第二章は、六五―六六年冬にかけて、早大短歌会の「27号室通信」「早稲田短歌」に発表したものから抜粋した。
第三章は、「冬の論理」は六八年早春に、他は六九年に「反措定」一号、二号、『現代短歌'70』「短歌」に発表したものである。なお、「わが内なる正規兵へ」というタイトルは二章の四「冬の塑像」の初出時にタイトルとして用いたものである。
第一章は七一年―七二年にかけて、「反措定」六号、「雁」「喚」に発表したものに書き加えて再構成したものである。
(「〈やさしき志士達>覚書」より)
目次
・やさしき志士達の世界へ
- 壱 わがやさしき志士へ
- 弐 昏霜の窓
- 参 寒椿ささげし汝れは
- 四 首都も凍てしや
・冬の塑像
- あわき愛語
- 球状の視野g
- 告知のための十九章
- 冬の塑像
・わが内なる正規兵へ
- 橋梁
- 冬の論理
- 刻の決意
- わが内なる正規兵ヘ
解説 福島泰樹
〈やさしき志士達>覚書