1972年6月、山田書店から刊行された岡田隆彦(1939~1997)の第3詩集。
満を持す気合は、この集を構想するときとて同様であった。めずらしく「海の翼」という、これはただの掛声にとどまらぬ着想のもと、この二年のあいだ、少しづつ書いてきたのだから、なおのことであった。それが、こうしていま、十四篇を読み、あまりに拙く、自成蹊の希いに遠く、落胆している。しかしなお、なにか光がふるえていることが気になるのである。考えてみれば、たまさか出会ったイメジに執着しすぎてきた報いは怖ろしい。それらが消えゆくものだからこそ、わたしを惹きつけるのだ、と抗弁するしかあるまい。たとえ言葉はかりそめのもの、暗号であるにせよ、自己を衝迫してくるところのものがなぜか消えてゆくことを明確にしなければ満足しない欲求から言葉が酷使に耐えるべくして耐える。そうして、言葉が透明な枠組となりおおせることへの願いは、どうやら現実を現実たらしめているらしい、時空間のたわみが、そういう枠組で、ほの見えてくることへの願いと変わらない。
(『海の翼』一九七〇年版「おぼえがき」より)
部数を限って、しかも安からぬ頒価で詩集『海の翼』を出すことは、最初から自分のためにするつもりだったから、少しも抵抗がなかった。しかし出たあとで、思いのほか親しい人たちに礼を欠くことに気づき、つらかった。また、「海の翼」といった主題にとり憑かれてきたのは今にはじまったことではなく、かなり以前からその兆候が認められるので、さらに旧作や新作を加え、いわば定本のつもりで再び集をまとめておくことにした。前『海の翼』の「おぼえがき」のうち、集中の四篇が旧作である旨断わった二行を削除したことと掲載順序を発表年代順に組みかえたほかは異同がない。なお、追加した五篇は、「九月のあとの勾玉よ」「木馬にまたがり沖にでる」「空翔けてゆく海馬」「季節もなく海は」「渚に暮れる」である。
(「新版おぼえがき」より)
目次
- 盲腸前夜
- 海さりしのち
- パンと婚約
- 羊水内の規律
- 九月のあとの勾玉よ
- あすか川
- 五年を祝う
- 木馬にまたがり沖にでる
- 青い虚空がおれのすべてだ
- 波の泡から翔びたて天使
- 海からかへれば
- 海の翼
- 水底で星になることだってできる
- 魂の遊園
- 樹のあつまりを見る
- 朝に近づく航海
- 空翔けてゆく海馬
- 季節もなく海は
- 渚に暮れる
新版おぼえがき
おぼえがき