1983年7月、沖積舎から刊行された鶴岡善久(1936~)の評論集。装幀は藤林省三。
本書は数年前、「詩的磁場を求めて」という書名でK氏の手によって一度公刊されたものである。しかし出版後間もなく、K氏は出版から身を引かれそれに伴って本書も絶版になってしまった。
このたび沖積舎の沖山隆久氏のご好意で、再び本書が新しい装いで出版されることになり、著者として大変うれしく思っている。
ぼくは長くシュルレアリスムに関ってきた。日本でシュルレアリスムがよりよく作動するためには、シュルレアリスムの精神が、日本の風土、文化といちど激突する必要があるとぼくは考えるに至った。そうした考えを念頭におきながら、ぼくは本書で日本における「詩的なるもの」の本質を、視野を限定せずに確認し直してみようと試みたつもりである。それなしには、シュルレアリスムはもとより、日本における新しい詩の出発はありえないと、ぼくは信じている。今度の出版を機に同じ趣旨で書いた数篇の文章を補って本書をもって増補決定版としたいと思う。
(「あとがき」より)
目次
- 空中独唱――夏目漱石の句・試注
- しらべと断望――永井荷風の詩と句
- 渋柿も価ある世ぞ――永井荷風の未発表葉書
- 裂けた葉すなわち神経――芥川龍之介の詩と句
- 純血と放心――富永太郎論
- 顔を感じる――尾形亀之助論
- <失脚>の淵から――千田光論
- 透徹と跛行――左川ちかへの試み
- 一九三二年のモダニズム――伊藤静雄の可能性
- 不在の明証――高橋新吉の詩
- <成熟>ということ――安東次男について
- 素湯呑んで――安東次男句讚
- 眼なしの眼――永田耕衣讃
- <田荷軒殺佛>紀行―――永田耕衣近作論
- のびやかな呼吸――水原秋桜子と西脇順三郎
- <感情>の帰結――斎藤茂吉と萩原朔太郎
- <鼠殺し>など――萩原朔太郎とアリス
- 晩年小考――斎藤茂吉<白き山>をめぐって
- <本居宣長>までたどって――小林秀雄と詩
- 句をして句の外へ――永田耕衣三冊の句集
- 無心と内在律――三橋敏雄の句
- いくや出ていくや――加藤郁乎半身考
- 透明な桃の遊び――中村苑子の句
- 素心のひと――黒田三郎のこと
あとがき