1995年四月、エンプティから刊行された寺島珠雄(1925~1999)の詩集。表紙装幀は金澤桂。
初出一覧を整えて低人通信が多いのに気付いた。他の初出誌紙に較べて正体不明的かと思うのでその説明にあとがきの場を借りる。
低人とはニイチェの超人に対して辻潤が使った言葉で、萩原朔太郎は「辻潤と低人教」と呼んだが、辻潤は自分の考え方生き方を低人と要約してみせた、それだけのことだ。そして私は辻潤の文章で低人の一語を知る前に、ささやかなパトロンで高弟だった西山勇太郎の『低人雑記』を読んだ。かぞえ十六歳、一九四〇年秋で、西山から辻潤に遡行する情態は作品「影」にある。また言えば、跋の執筆を乞うた伊藤信吉さんの著書を初めて知ったのは、西山のガリ版個人誌『色即是空(すべてはながみ)』に、伊藤さんの『土の唄と民話』が広告されていたからだった。近年大阪で買い直した極美本が地震にも損じることなくある。
西山は東京淀橋に特異なひとり暮しで、戦後にも親しくしてもらったがいまは故人。ただ第二第三の低人雑記を考えたに相違ない肉筆原稿四百枚余りが私の手もとにある。低人通信はその継承、と言うにはA4判を横三つ折りのペラペラ、一号に五千字ほど、そこに載せた作品が即ち初出・低人通信というわけだ。私が勝手に先輩友人に送っているだけのものだからこんな説明をしている。発行も部数も不定、制作はエンプテイ。ただし最近の名入り封筒は小山和郎氏の芳志である。
さて、右のような西山勇太郎なのに私は低人通信に西山に当てた作品を書いていない。他にも書いていない。従ってこの詩集に西山への作品はない。散文なら『西山勇太郎ノート』などいくつかあるけれど、そういうことなのだ。
(「あとがき」より)
目次
- 高島地震
- 番が来た
- 来なかったひと
- 熱い躰
- 近年ひるめしノート
- 好きな場所のうた
- 本の蒲団
- 砂を聴く
- 新年弔歌
- 午後の報告
- コスモス忌会場まで
- ひげ剃りのあとで
- 葉食い人
- 冬と夏の死者
- 未明
- 時計
- 火葬場で
- 腹つづみうため
- 車窓
- 長屋門の家
- 木馬亭で
- 出てきませんか
- 手紙をよこせ
- 砂埃りの道
- 友ヒトリ
- はんぱ日記
- 影
- 上州紀行
- 酒食年表拾遺
- 煉瓦塀
- 冬の泥鰌
- 近くの生協
- 遠い町
- 記録
- ものがたりうた
- 手の女
- 月齢26・1の朝
- トンネルに向う駅
- 横丁記
- 洞穴のこと
- 背が見える
- 眼瞼風景
- 歌
- 欅と山茶花
- たたずまいなど
- はがきを書く
- オニイチャン・兄貴・アンタ
- 御霊前ニ欲シイナラ
- 兄ノ友ダチ
- 死去の日と年齢その他覚え書
初出一覧
あとがき
思いの深さにおいて――片信録に寄せる 伊藤信吉8
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