1929年、学校詩集発行所から刊行されたアンソロジー。編集は伊藤信吉。1981年12月、麦書房が復刻。
年月の流れの装飾的表現として二十五年を四半世紀といったり、五十年を半世紀と言ったりする。数えてみると『学校詩集』刊行の昭和四年(一九二九)は既に五十二年前のことになり、まさに言うところの半世紀前である。それならばこのアンソロジーに作品を寄せた人たちにとって、その半世紀は装飾的年月であったろうか。おおかたは否である。これをアナキズム思想史の末端というべきところに位置づけて回顧すれば、装飾的年月などというしゃれた社会的状況はおよそ見られなかった。
私ごとを挿入することになるので恐縮だが、五十二年前のその秋、私は東京・目黒のガスタンク近くの借室でこのアンソロジーの編集をした。雑誌『学校』の主体だった草野心平(当時は前橋居住)と何度か手紙のやりとりをし、編集の方途を決め、次々に送られてくる原稿の字数、行数をかぞえ、割付をした。樹木、花草の多い山荘のような借室でしたその編集は、いま思い出してもたのしい仕事だった。
表紙の『学校詩集』の四文字は草野心平筆である。それによって私が表紙意匠を考えたが、考えたといったところで、どのようにすれば、いちばん製作費が安くあがるかの工夫に過ぎなかった。署名はないけれども巻末覚え書は草野心平執筆で、私には結びの「以上がわれ達の分布図である」というその「われ達」が、いくらか珍らしく新鮮な感じだった。製作費七十円か七十五円のうち私がまず四十円出費した。遠い本郷千駄木の高村光太郎が原稿と金五円をわざわざ届けてくれた。寄稿者中の最高寄金だった。
編集を終えて間もなく私は渋谷区金王の下宿屋へ移り、そこが『学校詩集』発行所になった。その下宿屋には大江満雄が居り、すぐ近くに小野十三郎がいた。横地正次郎もいた。この地帯で私は岡本潤、秋山清、森竹夫、小森盛、伊藤和、黄瀛、宮崎孝政、尾形亀之助らに会った。刊行日付は十二月三十一日となっているが、詩集はそれよりも何日か前に出来したと思う。神楽坂の書店に販売依托に行ったことをはっきりと覚えている。
仲間の小雑誌が書評をのせ、雑誌『詩神』に広告を出した程度のこととて、宣伝不足もあって売れた部数はわづかだった。最後に、道玄坂の夜店で古本を売っている青年に、残本を一部二十銭で引き取ってもらった。こんなふうに金銭的な痛みはあっても、いわば詩的体験として私の昭和四年秋は充実していた。これらの刊行をめぐる色んな思い出を、私は『逆流の中の歌』(泰流社)にくわしく書いた。
その詩的体験の充実感のことだが、そこに『学校詩集』そのものの詩的性格の問題がある。書名が標示するように、このアンソロジーは『学校』(昭和三・一二―同四・一〇全七冊)寄稿者を網羅して三十七名である。おおざっぱな分類として『学校』はアナキズム文学の系流に属するが、あるいはそこに近接するが、しかし三十七名がすべてアナキズム思想の所有者だったのではない。そのことは黄瀛、宮崎孝政、尾形亀之助らの作品を一読すれば明らかだし、高村光太郎、尾崎喜八らも一般的にはヒューマニズム系の詩人とされている。その一方、それと同時に、高村光太郎、尾崎喜八らはアナキズムの精神に親近するところがあり、実際にもアナキズムの詩人たちと親しい往来があった。
自分のことはどうだろう。もとより私はアナキズムの詩人ではない。私はその思想をはっきりと身につけるにいたらなかったし、何らの実践的跡づけもない。私にあったのはアナキズムへの〈思想的思慕〉というべき程度の思考、情操だった。前橋で知った萩原恭次郎、横地正次郎、草野心平らとの交友を通じて、しだいにアナキズム系の詩人たちとの交友が繁くなったのである。そしてまた私に似た詩的雰囲気としてのアナキズム(それを私は『逆流の中の歌』で詩的アナキズム〉と呼んだ)を、三十七名中の何人かが同じように味わったのではないか。
いずれにせよこのアンソロジーは、昭和四年当時における〈詩的思想〉の一つの結集として、それなりに特異な時代性を帯びるものであった。そのころ別に『アナーキスト詩集』という薄いアンソロジーが出たが、それとの対比ばかりでなく、詩集そのものの質量において積極的なところがあった。五十餘年を経ての復刻は、かならずしも無駄でない歴史的回顧を意味するだろう。
(「付記としての回想/伊藤信吉」より)
目次
- 春・有島盛三
- 唐芋・有島盛三
- 集会・有島盛三
- 斷片(昨夜の友も……)・萩原恭次郎
- 斷片(今日我々は……)・萩原恭次郎
- 斷片(君は君の道を……)・萩原恭次郎
- 斷片(彼等は俺等を……)・萩原恭次郎
- 斷片(凡て勇気ある……)・萩原恭次郎
- 斷片(海のやうな……)・萩原恭次郎
- 斷片(欲望が彼の胸に……)・萩原恭次郎
- 斷片(自分のやくざを……)・萩原恭次郎
- 斷片(血は無駄を嫌……)・萩原恭次郎
- 良公しつかりしてろよ・廣田萬壽夫
- 行き倒れの女・碧靜江
- 報告(ウルトラマリン第一)・逸見猶吉
- 兇牙利的(ウルトラマリン第二)・逸見猶吉
- 死ト現象(ウルトラマリン第三)・逸見猶吉
- 午後一時の風景を歩いて・伊藤和
- 冬晴・伊藤和
- 休日に・伊藤和
- 北海道から朝鮮へ・猪狩滿直
- 一九二九年十一月二日・岩瀬正雄
- 反対・岩瀬正雄
- 旅・岩瀬正雄
- 五月の霜・伊藤信吉
- 裏日本へ・伊藤信吉
- トランク・伊藤信吉
- 唐沽から天津へ・黄瀛
- 将軍よ!・黄瀛
- 友達のこと・神谷暢
- 渇飢地帶・小森盛
- 飯と水とその他・小森盛
- 廣東を去る直前・草野心平
- 血の話・草野心平
- 道徳その他・草野心平
- おかあの血のにじんだ餠・木山捷平
- 地球たたいて日が暮れた・木山捷平
- 訊問・金井新作
- 戦争・金井新作
- 脱出者の家(児童革命戦の図1)・宮崎孝政
- 重大なる会議(児童革命戦の図2)・宮崎孝政
- 或る品評會・三野混沌
- 糧道・三野混沌
- 野原・三野混沌
- 山村食料記録・森佐一
- 保護職工・森竹夫
- 無題・森竹夫
- おつかさんと不孝な息子・岡本潤
- 風・岡本潤
- 秋冷・尾形龜之助
- 五月秋冷・尾形龜之助
- 三月の日・尾形龜之助
- 仲間・尾崎喜八
- 言葉・尾崎喜八
- 坑内の血・大江滿雄
- 母・大江滿雄
- 二人の浮浪人ぢやない・大江滿雄
- 草原・大江滿雄
- 老車夫・小野整
- 家系・小野十三郎
- いたるところの訣別・小野十三郎
- 機関車に・小野十三郎
- 同伴者・小野十三郎
- チヤチヤはこう話して呉れた・更科源藏
- 薄暮・杉山市五郎
- 芋・杉山市五郎
- 無題・杉山市五郎
- おかんの死・坂本遼
- 今日義兄が監獄からもどつてくる・坂本遼
- 吹雪・薄野寒雄
- 青空・薄野寒雄
- 希望・薄野寒雄
- 夕暮の詩・坂本七郎
- 供給人夫・柴山群平
- 病院より・柴山群平
- 鬪ひの道・局清
- 上州川古「さくさん」風景・高村光太郎
- 上州湯檜曾風景・高村光太郎
- 午後一時・竹内てる代
- 無実・竹内てる代
- 荒地・吉田一穗
- ミネオの唄・山本和夫
- 無題・山本和夫
- 秋・横地正次郎
- 行くもの・横地正次郎
跋
附録
同時代評
詩集に関するノート――吉田一穂
「学校詩集」読後 小森盛
学校詩集批判 石井秀
日本詩壇時事座談会(抄) 北川冬彦・他
作品初出一覧・参加者略歴・本文校訂について
付記としての回想
制作覚書 刊行者