1970年12月、私家版として刊行された延原大川(1910~1987)の第2詩集。著者は黒住教研究者。
第一詩集「五十余年乃夢」を出版してから満五年の秋をむかヘて、往時の少年は、今年本卦返り、然るに心は旧に依って流水の如く幼い。永遠に初々しい少年でありたいといふのが、私の衷心の願ひである。
さて、一集以後、興に任せて成った幾百の作中から、稍、我が胸中を伝へうると思はれるものを一本にまとめて、辱知の方々に頒つことにした。題して「石神」といふ。一般の方には、馴染みのうすい題名だと思ふけれども、いろいろ考慮の果てにこれにきめたのである。石神は、石を以て造った神の姿で、いまもなほ稀に発見されるものであるが、必ずしも神をかたどったものばかりでなく、生のま」の巖石を、そのまゝ神として祭った太古の祖先たちの素朴単純な心を慕点からのことである。
日々に新たなるべき人心と、文明の健康が常に指向すべきは、太古の人々の単純卒直な精神であり、無垢なる大自然そのものでなければならぬと思ふ。その意味では、この詩集は現代に生きる者の魂のうめきであり、日本の痛みでもある。日々に頽廃に向って押しやられつつあるかの如きいはゆる公害文明下の人間の心の底には、意識するか否かは別として、この集に疼いてゐるやうな魂の疼きがあるかと思ふ。
この単純極まる老少年の詩集は、このやうな文明下に生きる一人の偽らざる感懐であることはまちがひない所だ。文明のガスや騒音、火花をちらすふくざつな人事に疲れた時、此の集を播いていたざければ、何かの霊感にふれていただけようかと思ふ。自負する訳ではないが、序知のご一誦を得ればありがたい。
(「小序」より)
目次
小序
- 春暁
- 天の安国
- 巨大漢
- 日本に捧ぐ
- 大椿先生小伝
- 懐かしの火
- 祭
- 野梅
- 天平の人
- 詩人バーンズを愛す
- 花に代りて詠める
- 雜草讚
- 山居詩
- 天照皇太神宮
- 山
- 月宮に在りて歌へる
- 我は愛す
- 慨歌
- 此の夏も
- 草屋
- 独嘯吟
- 暮村炊煙
- 古琴
- 石臼の歌
- 燈火
- 木
- 螢の城
- 忘憂草
- 夕暮の堤にて
- 鮒一尺
- 旅にて
- 秋茱萸
- 竜胆
- 寂紅
- 野に行かう
- 古月
- 秋の水
- 十月の阿耶女
- 黄昏の野に歌へる
- 秋野行
- 土に祈る
- 寂莫
- 秋の散歩
- ふるさと
- 初冬の土をみつめて
- 石神祭
- 冬山行
- 備中神楽賦
- 藪椿
- 萱草の花
- 暮春
- みそさざゐ
- 蛙鳴く夜は
- 土と太陽の回復
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