この神のへど 高見順

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 1955年11月、河出書房から刊行された高見順(1907~1965)の長編小説。河出新書65。元版は大日本雄弁会講談社版(1954年)。

 

 ノイローゼがすつかり流行語になつた。荒正人氏なども、それをにがにがしいことに思ふと、どこかで言つてゐたが、私も同様である。ノイローゼの苦痛を知らない荒君よりも、知つてある私の方が、どれだけにがにがしいか分らない。ノイローゼに苦しんだことのある人、そして苦しんでゐる人は等しく、ノイローゼの苦痛を知らない人がノイローゼといふことを面白半分に口にしたりすることに對して、私同様の氣持だらうと思ふ。
 私がこの小説を書いたときは、ノイローゼが今日のやうな流行語にならうとは夢にも思はなかつた。そんな策配が感じられたら、恐らく私は私なりの羞恥心からこの小説は書かなかつたらう。この小説を書きはじめた頃は、私がまだノイローゼから完全に脱し切れないときであつた。脱したい願ひが、この小説を書かせたとも言へる。脱し切つたあとでゆつくり落ちついて書かうと、もし私が思つたとしたら、ノイローゼ流行の今日に際會して、この小說は遂に書かれないでしまつたかもしれぬ。
 これは昭和二十八年の一月から十一月にかけて雑誌「群像」に連載したものである。單行本になつたとき、そのあとがきに私はかう書いた。「この小說の主人公と同じやうに、私は神経症に苦しめられたものでありますが、神経症に苦しめられたこと、そして神経症といふものを書くことが、この小說の目的ではありませんでした。しかし、この小説で私が書かうとしたことは(書かれてゐることといふのと、それは必らずしも同義語ではありません。)神經症に苦しめられたことによつて私が考へさせられたことでもあります……云々」。それから、かうも書いた。「病める時代の中の病める人間といふもの、病める人間の中の病める時代といふものを書かうとしたのであります。すなはち私は、現在の中の過去といふものを考へたかつたのでありますが、それは、過去の中の現在をも私に考へさせるに至りました」。
 このやうにこの小説はノイローゼを書いたものではないが、ノイローゼとはどういふものかはここに書かれてある。小說的に書かれてはあるけれど、しかし書かれている。だから、ノイローゼ流行の今日、ノイローゼとにとうふものかを知るために、それだけのために、この小説が置まれたとしても、それは致し方のないことである。
(「あとがき」より) 

 
目次

  • 第一章 或る恐怖
  • 第二章 逞しい娘
  • 第三章 懐しのネヴローズ
  • 第四章 夜
  • 第五章 自然の瑕瑾
  • 第六章 わが密林
  • 第七章 五體投地
  • 第八章 白日夢
  • 第九章 過去の中の現在
  • 第十章 斷末

あとがき


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