1981年10月、WHO'Sの会から刊行された樫村高(?~2015)の詩集。装幀は難波敦郎。WHO'S叢書Ⅲ。刊行時の著者の住所は八王子市犬目町。
人のことばがその人自身を超えるということはないように思える。ことばがその人自身の手綱を振り切って、一つの生き物として何かを生み出すことがありうるのは、ことばがその人よりも大きな広がりを持っているからではなくて、ことはの切り取り方がその人と相似のものでなかったところから生じることなのだろう。ことばが魔物なのではない。その切り取られた形状が魔物なのである。ことばが多すぎるとか少なすぎるとか言うのは、その人の形状との比において相似ではないということなのである。ことばをその人から独立した生き物として生み出すためのこのアンバランスな摘出法も一つの芸であり難事であることは言うまでもないが、しかしことばをその人と相似に切り取ることは更に至難である。そして人間そのものが何よりもまして魔性を秘めているとすれば、人間と相似形にことばを表出することは一つの魔物を生み出すことになるだろう。そのようにして生み出された魔物はその人と相似形である故に、安らかである。人の内壁に沿って、いらだたずにすべらせていく刃が表出する安らかな魔性である。
(「跋/田島伸悟」より)
目次
- 浦
- ほおづえの女
- 水辺の風景
- サマリヤ
- のむ
- あさがお
- 莨を吸う女
- うつむく
- 夏の手紙
- 汗
- たわむ
- およぐ風景
- あゆむ
- おりまげる
- いなくなる
- あさ
- くらまえ
- 山水夢
- 書かれた夢
- ランプ
- こわれた風景
- 首のデッサン
- けもの
- 植物誌
- 水栽培人
- 魚
- 馬
- 禽獣
- ぬっという
跋