犀星の小説100編 作品のなかの作者 笠森勇

 2013年4月、龍書房から刊行された笠森勇(1939~)による室生犀星作品論。

 

 やがて三十年ほど前のことになるが、犀星の小説をすべて読んでみようと思って一つひとつ読み始めた。全集所収作をまず読んでから、次には単行本に所収のものへ移り、ちょうど未刊行作品集が出たのを幸いにそれを読んだ。そして、それぞれの初出や所収先の検索に不便を感じていたので、小冊子『室生犀星小説事典』(一九九七)を作成した。童話も含めると七百五十編ぐらいの数にのぼった。長短さまざまである。
 全体を通してわかるのは、小説か随筆か判然としない作品が非常に多いことである。虚構としての小説かと思えば、けっこう事実そのままのところがあり、また事実を書いているのかと見れば、全くそうではなくて、まるで変幻自在である。作家とはそういうものだと言ってしまえばそれまでだが、それにしても犀星は、本来、小説というものを構築する資質に欠けていたのではあるまいか、とさえ思ったことがある。例えば、犀星が一時期親しくした芥川龍之介の小説世界と対比してみると、両者の差異は明瞭なものとなる。また、犀星が小説を書き始めるころに愛読したトルストイドストエフスキーの虚構の世界を読むと、犀星にはほとんど虚構の世界がないと断言してもよいくらいである。しかし、いわゆる私小説家だったのかと言えばそうではない。
 主人公を「私」と設定する場合の多いのが、犀星小説の大きな特色である。「私」はほとんど間違いなく作者自身か、もしくは非常に作者に近い分身であり、時には「私」以外の固有名詞で現わされることもあるとはいえ、それは作者そのものであることが多い。犀星はひたすら自分を語ることを、小説家の使命と認識していたのかも知れない。むろん、自分を語らない小説家などというものはいないはずである。しかし、犀星にとって小説は、あくまでも自己を語ることのためにあったと言っても過言ではないくらい、自らの出生と生い立ちに執していた。それが災いしたのか犀星は、全く自己から離れた別世界を展開することをほとんどしていない。
 小説家の犀星が作品を書くうえでとらわれていたのは、出生や生い立ちだけではなかった。旅をしなかった芭蕉と評してもいいような隠遁者風な生き方をした犀星は、馬込だけでなく軽井沢にも庭を造り、一見、世間とは隔絶した世界に身を置いていた。虫を初めとする生き物に深い愛着をもち、陶磁器などに限りなく好尚を示した。そんな日常そのものが小説の種となっている。ほとんど随筆と見てもよいような作品でも犀星はそれを小説と見ている。
 さらに、人嫌いを公言する犀星が、意外と作家仲間や詩人たちと交流をもっていて、その交流から派生する素な人間どうしの心の通い合いを描くことが好きである。人情の襞を描くのが得意である。しかし、随筆風だからすべて事実通りかと思うと、さにあらずで、騙されることもしばしばである。とりわけ「我が愛する詩人の伝記」と銘打った一群は「伝記」というよりは、むしろ犀星の「小説」として読むべきものである。
 以上のような次第で、作品のなかに顔を出している作者自身の姿を追って、私なりにメモを作ったのが本書である。犀星の文学世界が多少なりとも明らかになれば幸いである。
 終わりに、長きにわたって拙文を掲載させていただいた「花粉期」の葉山修平氏と、編集の労をとられた藤蔭道子氏に厚く御礼を申し上げます。また、出版に際しては龍書房社長、青木邦夫氏にお世話になりました。
(「あとがきに代えて」より)

 

目次

一 詩人から小説家へ 

  • 幼年時代」(大8.8)
  • 「性に眼覚める頃」(大8.10) 
  • 或る少女の死まで」(大8.11)
  • 「抒情詩時代」 (大8.5) 
  • 「ある山の話」 (大8.8) 
  • 「一冊のバイブル」(大8.9) 
  • 「結婚者の手記」(大9.2) 
  • 「海の僧院」(大9.3)
  • 「美しき氷河」(大9.4)
  • 「愛猫抄」(大9.5)
  • 「浅鯏貝」(大9.6)
  • 「山間の少女」(大9.6)
  • 「古き毒草園」(大9.6)
  • 「尼寺を訪ふ」(大9.10)

二 停滞と沈潜

  • 「蝙蝠」(大10.39
  • 「彼等に」(大11.1)
  • 「聖」(大11.9)
  • 童子」(大1.10) 
  • 「朝子」(大2.11) 
  • 「山河老ゆる」(大13.7) 
  • 「襟飾(ネクタイ)」(大14.2) 
  • 「画中の人」(大14.4) 「
  • 「梨翁と南枝」(大15.1) 
  • 「冬の蝶」(昭2.1) 
  • 唱歌室」(昭2.6) 
  • 「遺稿『メリイ・ゴオランド』」(昭2.7) 
  • 「名園の焼跡」(昭2.8) 
  • 「或夫婦」(昭2.12)

三 模索と挑戦 

  • 「母の死と前後」(昭3.7)
  • 「弄獅子」(昭3.8) 
  • 「海辺にて」(昭4.2)
  • 「生ひ立ちの記」(昭5.5)
  • 「青い猿」(昭6.6)
  • 「ピアノの町」(昭7.2)
  • 「洞庭記」(昭9.5) 
  • 「医王山」(昭9.7)
  • あにいもうと」(昭9.7)
  • 「八衝(やちまた)」(昭和11.7)
  • 「情痴界隈」(昭和12.1)

四 戦時下を生きる 

  • 「大陸の琴」(昭12.10)
  • 「べにの世界」 (昭14.7)
  • 「つくしこひしの歌」(昭14.8) 
  • 「故山」(昭16.5)
  • 「泥雀の歌」(昭16.5)
  • 「甚吉記」(昭16.10)
  • 「詩人の別れ」(昭18.1)
  • 信濃山中」(昭21.1)

五 奇跡的な復活に向けて 

  • 「みえ」(昭22.1) 
  • 「童笛を吹けども」 (昭23.5)
  • 「宿なしまり子」 (昭23.6)
  • 「捕縛」(昭24.7)
  • 「手を拝む」(昭26.3) 
  • 「門のべの記」(昭26.9)
  • 「誰が屋根のう」(昭26.9)
  • 「生涯の垣根」(昭28.8)
  • 「詩人・堀辰雄」(昭28.9)

六 生涯への眼差し 

  • 「黄と灰色の問答」(昭29.4)
  • 「文章病院」(昭29.5)
  • 「詩人・萩原朔太郎」(昭29.6)
  • 「蝶紋白」(昭29.6)
  • 「医師の世界」(昭30.1)
  • 「横着の苦痛」(昭30.10)
  • 「芸術家の生涯」(昭31.3)
  • 「三人の女」(昭31.5)
  • 「陶古の女人」(昭31.10)
  • 「杏つ子」(昭31.11)
  • 「向日葵」(昭32.1)
  • 「夕映えの男」(昭32.1)
  • 「逮捕の前」(昭32.4)
  • まぼろし往来」(昭32.4)
  • 「つゆくさ」(昭32.6)
  • 天皇」(昭32.6)
  • 「あきぐさ」(昭33.1) 
  • 「人は、草ふかく」(昭33.1) 
  • 「山も人も黙す」(昭33.1)

七 晩年の光彩 

  • 「我が愛する詩人の伝記」
  • 北原白秋」 (昭33.1) 
  • 高村光太郎」(昭33.2) 
  • 萩原朔太郎」(昭33.3) 
  • 「釈溜空」(昭33.4) 
  • 佐藤惣之助」(昭33.5) 
  • 島崎藤村」(昭33.6) 
  • 堀辰雄」(昭33.7) 
  • 立原道造」(昭33.8) 
  • 津村信夫」(昭33.9) 
  • 山村暮鳥」(昭33.10)
  • 「百田宗治」(昭33.1) 
  • 千家元麿」(昭33.2) 
  • 「黄ろい船」(昭33.5) 
  • 「一人は売れ一人は売れない話」(昭33.5) 
  • 「二十歳の燦爛」(昭33.7) 
  • 「かげろふの日記遺文」(昭33.7) 
  • 「歯の生涯」(昭33.2) 
  • 「生きるための橋」(昭34.1) 
  • 「蜜のあはれ」(昭34.1) 
  • 朝顔」(昭34.10) 
  • 「あまい子姉弟」 (昭34.10) 
  • 「火の魚」(昭34.10) 
  • 「告ぐるうた」(昭35.1) 
  • 「わが草の記」(昭35.10) 
  • 「われはうたへどもやぶれかぶれ」(昭37.2)

あとがきに代えて

 


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