1953年1月、日本未来派から刊行された土橋治重(1909~1993)の第1詩集。割付、印刷、校正は内田義廣(1906~1988)。
ここに収めた十九篇は、昭和二十三年から最近までのもののうちから選んだ。ならべ方は逆年順にした。
私はこれらの詩について、あらためて何もいう必要をおぼえない、これらの貧しい詩もそのすべてを読む人の鋭い目にさらしてあまさないと考えるからである。
しかし私はこの詩集を出すについて感慨なきを得ない――私は少青年のころ、十年ほど詩を書き、その後はあわただしい新聞記者生活のためごぐたまにしか書かなかつたが、たまたま鎌倉に住んで池田克己氏を知り、そのポエジーに魅さられて、私なりに熱心にあわただしい中で詩を書くようになつたことである。
池田氏を知らなかつたら、私は中年にしてふたたび詩にとりつかれることはなかつたろうし、この詩集も出なかつたろう。
私は池田氏を知る前、やはり鎌倉で林房雄氏の知遇をうけ(私の詩が日本未来派に特集されたとき喜んで涙を流したののは故繁子夫人だつた)またその後、日本未来派という場を通じて、高橋新吉、宮崎孝政、山之口貘、高見順、安藤一郎、植村諦、上林猷夫、内田義廣、扇谷義男、長島三芳、田村昌由、佐川英三、及川均、八森虎太郎、高橋宗近など諸氏を先輩または友人として得た。(「後記」より)
目次
- しばらく
- ももの花
- 草花日記
- 菜の花
- さよなら
- ぼくは歩いている
- ながれの中で
- 花
- ゴー・ストップ
- 往復
- 一つの平原
- 私の生活抒情
- 骨にならない骨
- 通勤者の帰宅
- 詩
- わたしの自転車のベル
- 自殺行
- わたしは松に生れかわりたい
- 古い風景
後記