1969年3月、甲陽書房から刊行された鈴木祐之の第2(遺稿)詩集。装幀は原田勝。
鈴木祐之は、一九三六年三月六日、山梨県甲府市西青沼町九五に生まれた。甲府一高を経て、山梨大学学芸学部国文学科を五八年に卒業、卒論は「高村光太郎」であった。五五年、詩誌「未踏」に参加した。
五九年、詩集『遭遇歌とその周辺』をユリイカから発行。六〇年「ユリイカ」の第四回新人賞に「渚にて」が候補作となった。この年「詩組織」に参加、「ヒロシマ」を発表。六二年、「群像」の第五回新人文学賞、評論の部」で「高村光太郎私論」が予選を通過した。六五年、詩集『今日の歌』を発行。この間同人誌「甲斐文学」「20」「狼火」「盆地」「文学圏」などに詩、評論を発表した。
職業は高校教師、新聞記者を経たが、長期に及んだものはなかった。六六年二月二日、甲府市塩部町にて急逝。二九歳であった。
『わたしのヒロシマ』は、鈴木祐之が生前から独立したものとして発表する意志を持っており、御母堂と協議の上、出来るだけ故人の遺志に近い形でまとめた。一部は「詩組織」に発表したものである。鈴木祐之には、このほかに相当数の詩、小説の原稿等がある。彼の肉体はすでに過去のなかに消え去り、私たちの記憶のなかにのみ彼と彼の詩が残っている。
この詩集の装幀は故人の親友原田勝氏を煩らわし、編集には、杉田厳、松野茂、浅川泉が当たった。
(「後記」より)
目次
序
後記 浅川泉