1954年3月日本出版協同からから刊行された平野威馬雄(1900~1986)の自伝。装幀は鈴木清。
混血児として生れた者が、ともすれば、おちいりやすい、非社会性の青白い偏向から、ぼくが、わり合いに、スムースに脱け出すことができたのは、詩を書く心おどりが強力だったからである。ぼくの人生を、いびつなりにも、ここまで、不透明ながら、ちょっぴり、つやづけてくれたのは詩を愛する心だった。三十五年間、毎日、ぼくは詩を書いてきた。二萬餘の詩をかいてきた。が、詩はぼくの糞だから、ひとさまに、かいで、いただく氣にはなれなかった。一冊の詩集を、あむ、暴挙も、あえて、試みず、詩壇とも交渉なく、書いては捨て、作っては破り、ただ、心に、ほのぼのと、暖房仕掛けを保つだけでたのしかった。(「あとがき」より)
目次
- はしがきにかえて
- 異人さんが殺された
- 外人遊歩道路
- 彎理屋とボーレン
- らしやめん
- はまの人柱
- 赤毛の勞働者
- 父
- 母
- 生いたち
- ちよんきな屋
- 五寸釘トラ吉
- あいのこ道路
- ナンシーちやんと正雄ちやん
- 父の歸國
- フランス坊主の學校
- 異端者
- 正雄ちやんの末路
- 性のめざめ
- ミリタリズム
- 放校
- 應援歌
- 「エトワル」(星)
- 再び父の歸國
- 詩人の群れ
- 大學生
- 父の死
- 母の死
- 混血兒の悲劇
- 戰争中の出來事
- 藝妓の語學教授
- 戰後の贈物
- 混血兒の母達
- 子供にはなんの罪もない
あとがき