1974年、限定200部の私家版として制作された野田理一(1907~1987)の詩集。
この書物の内容は、あの困難な時期(1935―51)への回答として残った私的な言語意識の集積であって、戦前の五、八の二編は表現形体としては例外的なものである。
「…一九三四年といえば、日本が戦争の道へまっしぐらという時代で、思想統制も苛烈をきわめたところです」という考古学者、田辺照三氏の発言が「批評日本史一」思索社(一九七二年刊行)の記事中にある。
戦時中、ここにみられるような言語表現のコミュニケーションは、実際の例をあげるまでもなく、絶望であった。起点も終点もない一日が、ただ終るべくして終るとしか云いえなかった統制下の日々、だが、その反面、私にとって言語表現の機能性や意志の伝達に希望をつなぐということが、その可能性のあるなしにかかわらず当時の日々の精神上の支えであったこともまた確かな事実である。
傷あとの深い敗戦後の数年を含めて、所詮は戦争体験といってしまえるこの十六年間の記録についていえることは、それが詩であるにしても、ないにしても造形の本質に変るところはないということである。また、その内容は写真のもつ時間的な描写性の性格とは違った意味で、全体も細部も「そこにそうしてある」という以外ヽ削除することはできても加筆(追加表現)の余地のないものである。
戦時下のさまざまな局面に対する私の判断と知覚はこういう形をとり、こういう内容となった。当時、表現上の私の最大の関心は意識的にも無意識的にも不明瞭なものの本質を明瞭なものの本質に取りかえることではなかった。表現上の主張は別として、明瞭なものが何ものかの本質であるとすれば、当然、不明瞭なもの、曖昧なもの、非論理的なもの、混沌そのものも何ものかの本質でなければならない。
表題の「非亡命者」は、今更、それにこだわるわけではないが、当時の潜在的な沈黙のなかの市民像の破滅的な生存の幻影としかいえない。
作品の日付けは、いうまでもなく、いまはじまるものの記録ではない.
この書物は、雑誌「世代」(1936―41)の刊行者であった故大野正夫氏に、戦後、継続して出版された「荒地詩集」の編輯者諸氏に、そして苦しみを共にした亡き父母に多くの感謝と共におくるものである。(「序」より)
目次
序
(1935―41)
- 地図
- 手紙
- 平和の話
- 重傷者の傍で
- 牧歌
- 「危機」からの合唱
- 「危機」からのステートメント
- 新しい戸口の人に
- それは閉されている
(1942―45)
- 宛名のない時 1
- 宛名のない時 2
- 数えるものは記憶の…
- 死に囁く生の囁き
- 地獄の他の季節
- 政治的他殺
- 新年の祈り
- 破局の心理はわれわれを…
- 駆立てられる人々 1
- 駆立てられる人々 2
- 平和は平和以外のものではない
- 暗い日は…
- 拡声器は…
(1945―51)
- 実現こそすべてである
- 暗い地平線
- 既に現在は…
- 靴のない足のために
- 登場者
- 目撃者
- 立聞く者
- 「資本主義社会」の…
- そして証人はいない
- 通路
- 深夜の…
- 激痛の記憶
- その廃墟は…
- われわれは壁にうつる…
- やがて木綿の減産である…
- 誰にとって君は…
終詞(1973)