2002年12月、十二舎から刊行された増岡敏和(1928~2010)の第13詩集。装画は増岡頼子。
ここ三~四年、私の作品は短くなった。なるべく短く書くように努めたからでもあるが、特にくどい程の状況説明や思い入れ激しいところを意識的に捨象し、心象風景を日常的な具象的な描写で提示し、そこに焦点を絞り込むようにしたらそうなったのである。長々しく思いを続けるのが煩わしくなった裏返しでもあるだろう。
二○○○年九月、思いもしなかった心筋梗塞を患って治療(冠状動脈形成術)し、一か月近く入院し、その後二度検査入院していまも治療を続けているが、目下まあまあというところで日々を過ごしている。作品の短さにもその影響があるかも知れない。
また大したことではないが、言葉の切れ目などのところで私はこれまで、自分の思いを少し確認するように句読点を打ってきたが、止めることにした。特にそんなことに煩うことをしまいときめたからで。
病気をして、一つ新しく止めたことと始めたことがある。前者は一編の詩に書いているが、むかし専売局に勤めていた父母への思いは別にして、長年の悪弊ではあった煙草を遅まきながら止め、後者はよく川や森や畑のある武蔵野周辺(所沢・狭山・川越・入間・東村山・清瀬・東久留米付近にはまだ残っている)を、医師の勧めに従って毎日ではないが妻と歩くようにしている。
ただ一つ困ったことがある。年を重ねてだんだんそうなっていたが、ここのところ特に人のお名前がすっと出なくなったことだ。同年配のなかまはそんなにひどくないのと比して、やはり多くは病気のせいだろうと思える。もし失礼があったらお許しいただきたい。
さて、私の作品には夕焼けがよく出る。今回は特に多い。詩集名を『茜』とした所以である。少し叙情的に過ぎたきらいのあるものもあるが、概して気負いなく書けたように思う。
作品は内容から大まかに分類し、*印でわけて六つに並べたが、順に言えば、「家」「絵」「孫」「時事」「述懐」「亡妹」というテーマになろうか。終わりに置いた「片雲の風」以下四編は、それぞれ旧作(一九八七~一九九四年、未発表)を今回改稿したものである。また他に、最近詩誌に発表したが、今回修正改稿したものもある。
一九四九年、峠三吉の下で本格的に詩を書き始めて五三年になる。本書はその十三冊目の詩集であるが、本詩集の内容もこれまでのながれを受けて、父母から孫までの私たちの三世代の時間の断片を、それなりにだんだん彩りを沈潜させながら熱く描いてきたような気がしている。いつも遠くに感じることのなかった戦争の思いをそこに重ねながら。
(「あとがき」より)
目次
*
- ある朝
- 賛歌
- 茜する鏡
- 小さな森の家で
- 夕焼けの時間
*
- 滴る
- 無言館で
- 座像
- 時間切れの絵
- 絵の目
- 水を運ぶ農婦
*
- 波
- 薔薇の降る町で
- 子ども祭りの日に
- 桜が咲いたら
- 音楽に誘われて
- 土産
- 風ぐるま
*
- うるまの白い鳥
- 安保の見える丘で
- 青丹よし
- 眠る男
- 茶番のたんびに
- 微笑
*
- 百歳まで一緒に
- 救急車にて
- 心筋梗塞で倒れた日
- 元日の朝
*
- 片雲の風の
- 馬は嘶き鈴が鳴り
- ふるさとに帰ると
- 母の上京
あとがき