1999年12月、鉱脈社から刊行された金丸桝一(1927~)の詩論集。第2回小野十三郎賞候補作品。刊行時の著者の住所は宮崎県宮崎郡佐土原町。
目次
1章 一九五四~一九六九
- 一九五四年――「DON」 編集後記
- 詩の周辺――新たに試みるということ
- 現代詩の可能性
- 現代詩の意義――真に健康な精神を
- 広島でのこと
- 現代詩の主題
- 長谷川龍生・ノート――詩における狂気について
- 谷村博武論――詩集『南国の市民』について
- 作品時評――斎藤庸一「妖の一席」など
- 地の表情ノート
- 生へのつよい注視――谷村博武詩集『南国の市民』について
- 人生の哀歓うたう――『脚』(田中長二郎詩集)によせて
- 西都から
- 黒木清次短編集 『蘇州の賦』
- あつい精神の営為 谷村博武詩集『炎天』
- 自己存在確認の書 田中長二郎詩集『海峡』
- 中山正道詩集 『人間の唄』ノート
2章 一九七〇~一九七九
- 地方において文学はどうあるべきか――同人誌の在り方について
- 詩と私と
- 黒木松男の一面とその作品の一面と
- 「五月と樹木」に寄せて
- 中山正道詩集『黒い湖』解説
- 意味の再生――谷川雁の作品論・ノート
- 私的な死・無限時空のなかの――嵯峨信之の詩について覚書
- 「心願の国」覚書
- わが「ムラ」考――ある時代閉塞の現状
- 初心のころ
- 影
- 原初的存在の痛み――「もの」の味方・黒木郁朝版画展
- 瑛九・人と作品――その精神の炎
- 運命的なものへの注視――平田英徳詩集『村から」
- 超時間の普遍性、その美の痛み――富松良夫詩集『現身』・ノート
- あふれる自然への頌詩――堀江俊二詩集『白い舞踏』に寄せて
- 日常の中の異常さ――南邦和『外野手のうえの空』
- 自己の本質への道――大森一郎詩集『海鳴』に寄せて
- パヴェル・フリードマンの「蝶」に寄せて
- 生の危機が詩人をせきたてる――詩の行為について
- 一枚の服
- 「坂」に寄せて
- 黒木淳吉・その戦争の傷痕
- 詩と詩の行為について
- 形式主義を排す――池田賢士郎論文をめぐる論争について
- 富松良夫の詩と思想・ノート
- 谷村博武さんを偲ぶ
- 東京日記 一九七四年夏
- 俳句と私
- 想い出の一つ
- 言葉への愛 みえのふみあき詩集『蛇』に寄せて
- 杉谷昭人の詩と思想――詩集『わが町』について
- 各務章エッセイ集『樹間黙思抄』にふれて
- 美の痛みを内包して――本多寿詩集『避雷針』
- 西日本詩誌評 (一九七六年三月~八月)
- 連載コラム「風車」(西日本新聞・夕刊)
- 一ツ瀬川・今昔
- 日の浦曲記(うらみき)
- 詩の美しさと痛みと日の浦曲・記
- 寒山に寄せ修三を想う
- 馴れてはいけない――詩の現在性に想う
- 渡辺さんの死を泣く
- 谷間の人詩人――渡辺修三を追悼して
- 日の浦曲・記
- 詩詩人にとって共同性とはなにか――『開花期詩集・一九七八年』を読んで
- 滅びの美学の眼――黒木清次詩集『朝の鶴』に寄せて
- 私の詩と風土
- 『宮崎の詩・戦後篇』を語り終えて
- 詩集『夢の器』に接して
- 不可能なる透明への要求――悠紀あきこ詩集『声のスペクトラム』
- 核心は無心――宗左近詩集『縄文』/窪田般彌詩集『圓環話法』
- 詩集『夏日』によせて
- "固い種子"に太陽を――『宮崎の詩』を刊行して
- 存在することの怖れを内包し――詩時評
- うつせみを削り精神を研ぐ――本多利通詩集『鳥葬』の世界
- 呪術的な祈り歌――本多寿詩集『馬・たまふる』に寄せて
- 『宮崎の詩・戦後篇』を終えて
3章 一九八〇~一九八九
- 不条理な生を耐え続ける者
- 詩について
- 復活
- 詩の虚構性について
- <超意味〉において問われ、かつ答えつづける――一色真理の詩と思想・ノート
- 水橋晋詩集『悪い旅』と江森國友詩集『幼童詩篇』と
- この地上のものの側に立ちきる態度に根ざし――『美村幹詩集』・覚え書き
- 「現代詩手帖」詩書評 (一九八一年一月~十二月)
- 徧参記
- 「赤道」創刊の頃
- 「地方の立場・役割」など
- 自己凝視の詩人――田中長二郎さんを悼む
- 潮田さんの挑戦
- 相良平八郎詩集――『博物詞拾』に寄せて
- 『中山朋之詩集』解説
- あるべき姿を望む――伊藤泰臣創作集『島』
- 詩集『つぶやき』に寄せて――森千枝さんのこと
- 「詩学」への期待
- 言葉の力・過激になる根があって
- 春を送りつつ
- 記憶の綜合
- 宮崎の詩と詩人たち
- 地名が内包するもの――杉谷昭人詩集『宮崎の地名』解説
- <生命の甦り〉に就き、柔軟自在――現代詩文庫 『江森國友詩集』詩人論
- 「詩は「見る」に発する
- 入江昭三の詩・その執着と遺恨と
- 「発語への飢え」または「原語への渇き」――本多寿詩集『日向』を読んで
- わが偉大なる信天翁――現代詩文庫 『嵯峨信之詩集』詩人論
- 事象の皮相に即かず――鈴木素直の詩と思想・ノート
- 「龍舌蘭」創刊同人、最後のひとり
- 淵上毛銭の「鰯」とオーデンの「小説家」と
- 詩の現在
- 津村信夫「小扇」
- 『宮崎詩集・1988年』
- 「地域の文化」を考える
- 「龍舌蘭」とともに
- 黒木清次氏を悼む
- 被抑圧者の側に立ち、疎外者の位置に立つ――南邦和詩集・覚書
- 自らの声を生きる試み――詩集『失われた場所』を読んで
- つねに勁(つよ)くかなしく初々しく――丸山豊詩集について
- 平凡を大事にした画家・宮崎正二回顧展の印象
- 詩集『椿』に寄せて
- 桜島とともに生きる――杢田瑛二詩集『火の山 炎炎』
- 千の眼で見つめ、千の手でとらえ――『斎藤庸一詩集』『有馬敲詩集』
- 人間のいのちの燃焼の火種――『磯永秀雄詩集』に寄せて
- 『吉川成仁詩集』に寄せて
- 詩人の渇望の切なさに促される――坂本明子詩集『おしゃべり抄―中国紀行』
- 連載コラム「視点」(毎日新聞夕刊)
4章 一九九〇~一九九九
- 東京日記・一九八九年冬
- 悔悟と反抗の内なる憧憬を見つめて――『黒木清次詩集II 未刊詩集篇』解説
- なぜ、いつまでも詩か?
- 再び、「なぜ、いつまでも詩か?」
- 岡田武雄の詩とその背景――詩人の「執着と遺恨」をめぐって
- 本多利通のこと
- 本多寿の詩と作品
- 詩篇「西にむかって」のことなど
- 杉谷昭人その人と作品
- 詩人 神戸雄一のこと 作詞原稿「足音が見つかって」
- 「地域から問う」を問う
- 詩集『果樹園』批判を読んで――本多詩の投げた問題の深刻さを問い直したい
- 北九州詩のひろば」に出会して
- 西村さんを想う
- 日録・いつも夕暮れに
- 松田和子詩集『日の岸』を読む
- 時代に背く精神ドラマ――太佐豊春の絵と思想
- 本質むきだしのモノやコトに向きあう――高松文樹詩集『こころと霊』に寄せて
- 激しく熱い静けさがあって――有田忠郎詩集『一顆明珠』を読んで
- 「無念な死を強いられる生命」を注視して西森茂詩集『雉狩り図』を読む
- 詩集『冬のキリン』に寄せて
- 平凡の中、真のドラマ――杉谷昭人詩集『村の歴史』、みえのふみあき詩集『雨だれ』
- 詩景遠近
- 神戸雄一『詩集"鶴"/小説集"番人"』「解説」
- 淵上毛錢の詩と思想・ノート
- 米井寿助のこと――その作品をめぐって
- ミショーの「日」への関心への関心
- 詩は万人のもの――二冊の詩集を読んで
- 存在の切なさに即く――安水稔和詩集『秋山抄』
- 孤潔に即き続けた詩人――『入江亮太郎・遺稿集』と『入江亮太郎・小裕句集』を読んで
- 嵯峨信之さんのこと――芸術選奨受賞を祝す
- 嵯峨さんの声を想い返す日の中で
- 類まれな自由人――服部伸六さんのこと
- さわやかで切ない随想――重清良吉著『くらしの分光』
- 重清良吉詩集『草の上』――人生の機微昇華させる
- 詩再生への多彩な試み――民話劇と詩の祭典
- 三島久美子詩集『らんじょう』を読んで
- 詩集『ふるさとのこと』に寄せて
- 実践に基づき明快――杉谷昭人著『詩の起源』
- 「生きる希望」を伝える――杉谷昭人著『詩の起源』
- 韓国の「恨」に促される――南邦和詩集『原郷』
- 峯尾聰子詩集『撹拌日記』を読んで
- 視線が丁寧で、まっさらで――黒部節子詩集『北向きの家』
- 伝わる真の謙譲――中山正道著『七牙の象 他』
- 詩人の成熟によって見えてくるもの――岡田武雄著『はらっぱ詩談』に寄せて
- 詩集『小さな世界』に寄せて
- 林嗣夫詩集『薊野1241』 の魅惑
- ほろ苦い哀愁ただよう――姫野年男詩集『旅する猫』
- 飾らない真実の言葉――森千枝随筆集『小さな独白(ものろーぐ)』
- あふれる知識と情熱――長嶺宏著『回想の文学』
- 歓喜と絶望の二重性――『片瀬博子詩集 1957~1997』
- 内なる率直さの反映――横山多恵子詩集『未明』
- 詩集『年輪』に寄せて
- 知的抑制と抒情性反映――瀬口黎生著『春の断章』
- 笹山竹義詩集『風鎮(ふうちん)』に寄せて
- 長谷川信子詩集『夕餉の支度』に寄せて
- 古賀博文詩論集『新しい詩の時代の到来』に寄せて
- 黒岩園を訪ねて
あとがき