1966年3月、番町書房から刊行された竹内てるよ(1904~2001)の自伝。
だれ一人知る人のない還歴の日を、病院のベッドで、たったひとり心静かに迎えたとき、多病であった生涯をふりかえって、たとえ、一言の祝いのことばさえきけず、赤いちゃんちゃんを着なくても、まっすぐに、ただ、真実に生きて来たことは、それこそあたたかな祝いのことばをきくことではあるまいかと、思ったものでありました。生きるにむつかしい現世で、純粋に生きてゆこうとする詩人に残るものは、飢死であろうと自分の中にきめることができたとき、この作品を書きはじめました。永久に埋もれても悔いまいとかたく思っていました。
それが、一月十四日、フジテレビに出ることになり、その日、みちがひらけて、番町書房さんの藤田昇司氏からの御話がありました。
私には、かくれたたくさんのファンがあり、詩集はないが、自伝は、と、ほとんど毎日のようにお手紙があるのですが、お返事もできないでいました。唯一の心残りであったのです。この記録が、みなさんのお手にとどきましたら、とうとう、がんばって、子供をとりかえしたと、ご安心下さい。そして、あなたがこれを読んで下さいましたら、その子を、癌でとられてしまったと、おわかり下さいます。
けれども、そのどん底を足場として、せめて書くことをいのちに、私がいま一度、再起することのできましたことを、どうか、心からよろこんで下さいまし。
私は、まずしい一介の母親です。けれども心のなりひびきをもっております。日本中はおろか世界の心でいま一度人生を勉強しようと考えました。このささやかな、再起の誓いを、番町書房さんの厚意をとおして、みなさんにささげるものであります。
(「あとがき」より)
目次
厚岸に星は流れて
- 判事の祖父と囚人
- 美しい母が母でない
- 悲しき花の冠
- 北国よさようなら
緑なき愛の果てに
- 都会の片隅で
- 継母の黒髪に泣く
- 血を吐きながら結婚
- 祖父の臨終
- 奇跡の出産
- 涙が凍る日び
- 真二よ許せ
生きたるは母の責務
- 山峡の町へ逃れて
- 拘置所で見つかったわが子
- ひたすらに真二を待ちて
- 母としてわが愛を
清純な愛を泥の中に
- わが子帰る
- 鉄格子の道へ再び
- 胎児の頭は砕かれて
碧落に祈りをこめて
- やくざ仲間と問答
- この手にわが子を
- 死に幸福を奪われて
あとがき
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