1983年8月、風媒社から刊行された岡本潤(1901~1978)の日記。編集・解説は寺島珠雄。
目次
1944(昭和十九)年
三月
- 自分をみつめる必要・二十数年ぶりに日記再開
- 復役届を出す
- 上京した小野十三郎と秋山清のアパートヘ
- 山猫的なものを失っていない中野重治
- ヒュームを読む
- 活動屋におサラバしたい
- 無思想の美文・一葉の日記
- 混乱の中での奇怪な失明
- 空襲警報発令
- 脚本課の仕事に協力
- ヴァレリイの『マラルメ論叢』
- 風呂屋の混雑
四月
- 家庭食物いよいよ乏し
- 俳句的載断を生かした小野十三郎の詩
- 官僚的形式主義の跋扈
- 自己嫌悪、蜜豆二杯食ふ
- マンスフィールドを読む
- 食感の番狂わせ
- 愛犬太郎の死刑宣告
- 『白痴』の深渕
- 詩三篇
- 「死んだ者は死にきり、生き残った奴は変り果てた」
- 撮影所幹部の我利的振舞
- 『文藝』へ詩「柳」を送る
五月
- 木村毅「布引丸」のプロット作り放棄
- 詩「宣告」を『新潮』に送る
- 対映協企画会議
- 別天地・栃木のビフテキ
- ”日本精神の昂揚”と無策無能の食糧問題
- 壺井繁治より栄の『女傑の村』送らる
- 撮影所長に抗議文出す
- 妻治子との喧嘩
- 甲府で杉原邦雄、大江満雄に会う
- 映画「石油謀略戦」の資料探し
- 太郎帰る
- 「何といふ民衆の根気と時間の空費だらう」
六月
- 一時間ならんで生ビール一杯
- きらいな鯖を食ふ
- 論理を無視した西谷弥兵エの講演
- 現実主義者永田雅一の訓話
- 慣れない大掃除
- 治子病気
- 「石油謀略戦」企画で新潟へ
- 油田見学
- 湯沢・雨にけむる山々
- 萩原恭次郎未亡人宅を訪ねる
- 風で撮影所休む
- 敗戦の徴候?雑炊の行列
1945(昭和二十)年
一月
- 旧習破る正月の警報
- 仕事初め・映画「掠奪者」の準備に走る
- 敵機現はれる
- 映画協会の存在の無意味さ
- 物価怪しくなるばかり
- 関根弘に牛肉をわけてもらふ
- 俗物・菊池寛
- なぜ特攻隊なのか
- 秋山清の詩を見る
- 「強力政治」は所詮「重圧政治」
- 撮影所閑散
- 空爆の跡凄まじ
- 精神のルンペン
二月
- 風邪ひどし
- 「闇」繁殖す
- 「詩精神」の行く方
- 内部へ向ふ眼・ジイドを見直す
- 虎の威を借る狐・今日の「精神主義者」
- 秋山清、植村諦らとイモを食ふ
- 島崎曙海、撮影所を訪問
- 明皙で冷徹な批判精神こそ
- 敵機編隊相継ぎ飛来
- 銭湯、言語道断の混雑
- 雪の夜の湯豆腐
- 神田方面、一面の焼野原
- 米なく、味噌なく、醤油なく
三月
- 中島飛行機、無断で撮影所に移動
- 危機を通り越した昏迷
- 敵機来襲
- 京都より倉橋顕吉上京
- 山中湖畔の金子光晴
- 悲惨!3・10東京空襲
- 食糧事情窮迫
- 惨禍の中の希望の萌し
- まるで留置場シラミの卵
- 野長瀬正夫疎開
- 人心の荒廃ここに至る
- 高村光太郎と豊島与志雄に詩「歴史の中の」を見せる
- 作詩意欲わく
四月
- 東上線、空襲のため不通
- 強制疎開のぶっこわし勤労奉仕
- 警戒警報続く
- 「今夜はやられるか」四方火の海
- 見る限りの焼野原
- 秋山清、自転車でハウレンサウもつてくる
- 「最後の超人的努力」ドイツ国民いかに?
- 待避壕の補強と改造
- スターリンのやり方
- 電車、喧嘩さわぎの大混雑
- 沖縄、ベルリンの運命
五月
- 欧州戦局急転回
- ファシズムの崩壊のあとに来るもの
- 精神的肉体的栄養不良
- 志木へワラビ採り
- 久しぶりのリンゴ
- 撮影所で空襲警報
- ドイツ無条件降伏
- 植村諦と情況を語り合う
- ウンザリの撮影所長演説
- 「特攻隊顕彰の歌」は書けぬ
- 亡霊封じにヴァレリイに取り組む
- 家庭内の不和・ストリンドベリ的孤立感
六月
- 「トラ刈りですまん、今に丸坊主に」敵機ビラ撒く
- マルクス主義からヴァレリイヘ
- 米の配給なし
- 治子を撲る
- 敵機襲撃、垣根に俯伏す
- 憤怒、そして灰色の空虚感
- 撮影所、泥縄式会議続く
- 白系ロシア人の罹災者
- トマトを植える
- 餓鬼的食慾に自己嫌悪
- 猛烈な蚊の来襲
- 掛声ばかりの政府と一切麻痺状態の末端
七月
- 調布飛行場ロケ
- 今日の実相・食ふこと自体が闘ひ
- 昼夜かけての連続空襲
- イモ畑と本のはざまで
- 悪事醜行の培養機関は指導層にあり
- 出勤もいよいよ命がけ
- 月、皓々と冴えわたる
- 戦時の感なし
- 空襲も日常の中に
- 刻々に迫りくるもの
- 爆音の中で眠る
八月(十五日まで)
- ジャガイモとトマトの常食
- 連日連夜の空襲
- 広島に新型爆弾落ちる
- ソ連の宣戦布告
- いよいよ無条件降伏か
- レマルク『その後に来るもの』読む
- 「明日正午重大発表」ラジオ予告
- 大悲壮劇・大東亜戦争のアッケない終幕
戦後・風吹く日々
1945(昭和二十)年
八月(十六日以後)
- 水面下の底唸り
- 思想的文化的闘ひはこれから
- 自分を苛めながら治子にあたる
- 当分はいよいよ混乱
- 風評乱れ飛ぶ
- 「軍人精神」とは何だったか
- 「皇軍に降伏なし」ビラさかんに撒布
- 解除後の兵隊
- 米機しきりに飛ぶ
九月
- 敗戦の意義
- ミズーリ艦上にて降伏調印式
- 根抵的批判精神の欠如・敗戦後のコメディじみた状況
- 相変わらずの電車混雑
- 「ダンサーヲ求ム、大和撫子ノ奮起ヲ望ム」
- 悪評サクサク東條英機の自殺未遂
- 無意味な出勤・撮影所仕事なし
- 金子光晴父子のうれしい訪問
- 三木清、拘置所で死去
十月
- 雨降りつづく
- 中野秀人、花田清輝と総合芸術協会発足を相談
- 庭のサツマイモを掘る
- 反軍映画制作についての討議・映画人の不愉快さ
- 食糧危機迫る
- 気勢上げる出獄共産党
- イモで食ひつなぐ
- 「蘇える春」菊池寛の不適切な評
- 相変わらずの電車混雑
- 綜合芸術協会の雑誌編集引受ける
十一月
- ジープといふものに乗る
- 電報来ず・無責任極まる郵便局
- 中野秀人宅にて『綜合藝術』編輯相談
- 酒、魚、肉を複雑な気分で味わう
- 撮影所従業員組合結成のための起草委員に
- 電気に祟られどはし
- 十年ぶりの再会・無政府共産党事件の二見と
- 各社映画従業員組合代表会議開催
十二月
- 日本の現状・新宿ブラックマーケットを歩く
- 労働組合の限界
- 石川三四郎、岩佐作太郎ら旧アナキストの集会に
- 反撥を感じさせる『赤旗』
- アナキズムの矛盾再び
- 全映委員会結成大会来年初頭に延期
- 焼けない都会・京都
- 不愉快な京都での組合要求交渉
- 新日本文学会創立大会」
1946(昭和二十一)年
三月
- 自分のありかは奈辺に・組合、アナキスト聯盟、『コスモス』による超多忙
- 三月の雪・若い人々と
- 宮本百合子、小田切秀雄らに『コスモス』原稿依頼
- 右も左も俗物主義の氾濫
- 日劇の東宝従業員大会で激励演説
- 映画人戦犯問題結論出ず
四月