1985年10月、私家版として刊行された山田哲平(1946~)の詩集。著者は東京生まれ。
今から二十数年前の高度成長全盛の頃の進学校・麻布学園において、受験期を迎えていた私は、口にこそ出さなかったが、同窓生の無意識層に君臨していた経済活動こそ人倫、とするような上昇倫理には、なぜかなじめず、かといって、今のような価値観の多様性など求めらるべくもなく、毎晩の青山墓地の散歩と芸術に慰めを見出し、当時から、現在も敬愛してやまない、フランクや、藤原俊成女、ジョルジョーネといった、時代から一歩身を引いた気高い精神に親密感を覚え、自ら逃亡と夢幻の中で二重に廃絶した世界に安らぎを見い出していた。
すなわち、東京オリンピック建設ラッシュ時に、ほとんど一掃されつつあった戦前の建物の空襲による廃墟化した姿を時折ながめることをくりかえすうちに、幼児期における家庭崩壊前後の、高校生当時すでに遠い過去のものとなっていたあの「黄金時代」における背景としての廃墟に思いをはせることがほとんど日課のようになっていた。
こうして、勉強しているとみせかけて、父に隠れて詩を書きつづけ、『廃都の路面電車』『僻地にて』が高三の五月、『幸福な王子』がその九月、『フランクの交響曲』が高二の春、『海辺の廃園』『鐘楼の小悪魔』がその秋というようにここに収められた詩の約半数が、十八歳までに日記に書きっけられている。残りの詩もほとんどが二十代中葉までにできあがっている。
国を挙げてひたすらに前向きに働きつづけていた、明るい、あるいは明るくふるまおうとしたあの時代において、ひっそりとした自国の廃墟、というよりは残骸の美しさ、に言及するものは、ほとんどなかったように思う。今からみれば、それはむしろ誇るべきことであるが、当時の私はそれに対して大いなる劣等感を抱き、日記のうちでこれらの詩を「自慰」と嘲けり、誰一人他人には見せなかった。大学に入って、今も親しい安田憲司君に偶然これを見せると絶賛され、面映ゆい思いがしたのも、もうふた昔近くも前のことになる。。
二十数年のあいだに、時々ひっぱり出してみては、筆を加えたところもあるが、大方は日記にかかれたままの姿をしている。今になってこれらの詩を読み返してみると、意外にも当時の時代が彷彿としてくる。どうやら歴史は時代に生きる精神よりも、むしろ時代に背を向けた精神にこそ、その最も深い刻印を与えるらしい。
今回詩集に纏めるにあたり、最終的な推稿を加えているうちに、いつのまにか自分が少年の心に戻っているのに気づいた。考えてみれば、当時から今に至るまで、趣味、思想、感情、共に何ら変ってはいない。時だけがたち時代だけが変った。高度成長というあの時代の催しに、当時一高校生であった私は、勉学という形であれ、参加した積りはいささかもなかったが、その同じ私が二十数年後に、その後の日本国民が達成した多大な成果の恩恵の一つとして、私のような者にまで詩集を自費出版できるような時代を迎えることができたことを、今になって恥しながら感謝しなければならない。私はただ乗りしたのである。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ
Ⅱ
- 木蓮樹譚
- 鐘楼の小悪魔
- 目隠し地蔵
Ⅲ
- 光の盗掘
- コッペリアの目をして
- 取って放って
- 骨の歌
- 夢跡
- もう一人のあなた
- 埋葬
- 後悔
- 新ルッジェルロ
- もぐらと天女
- 遅すぎて
- ほほえみ
- 戴冠
- 傷跡
- 深い泉
- 冥王星
- 通り抜けて
- 忠告
- アルマ・タデマの『薔薇園』に寄せて
- あなたの眼のなかには
- パレストリーナ夜話
あとがき
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