2001年4月、書肆山田から刊行された美術家・李禹煥(1936~)の詩集。付録栞は高橋睦郎による解説「自らの表現を表現たらしめる者」。
図らずも詩集を出すことになり、嬉しいやら恥ずかしいやら妙な気分である。というのも、少年の頃から詩らしきものを書いてはきたが、本業として文学でない道を選ぶことになり、今ではほとんどの時間を美術表現に費やしているからである。それでも書くことが好きなせいか、少しでも言葉の美味や毒気に触れようとすると、しばしば表現が詩的な様相を帯びてくる。初めから詩というのではなく、視覚に関する短文を綴っているうち、散文詩風のもの、時には叙情詩風のものがたまってきたようだ。
一年半程前、美術雑論集の準備にかかった時、分量調整に当たって散文詩風のものがいかにも多いことに気づき、一旦それらをほとんど抜くことになった。これもまたかなりの分量なので、考えているうちに、余計なことに思い至ったと言うべきか。既刊本、カタローグ、版画集、画集その他に載っているそれらしきものをかき集めて手を入れ、ここへ未発表のノートから選んだものを加えてみた。するとついでに、高校時代や五六年来日して数年間の韓国語によるものを、日本語に訳してみないではいられない。ある時、この話を高橋睦郎氏に持ちかけ、見てもらっているうち、丁寧な助言とともに出版社まで紹介され、詩集として日の目を見る運びとなったわけである。
長年美術を専門にしているせいか、眼差しに関するものが多い。言葉自体の内在的な展開よりも、見ることの中で起る出来事を言葉にしたような感じが著しい。高校時代から最近までの眼の遍歴を詩文風にしてみたものと言い直してもよい。読み返してみると、若い頃の思いこみの激しい眼から、次第に外界との両義的な対話の眼差しに変わってきたように映る。そして見ることが、僕自身の居場所への問いかけであったり、人間相手よりも周囲のものとの拮抗や呼応であったりしている。
ところで、内と外との行き交う眼差しの持続や深化や普遍化を願う試み―言葉の仕草が書くことだとしたら、やはり詩は言葉そのものではない。多分ぼくが書いているのは、詩を呼び起こす暗示のサインか身振りのような言葉にすぎまい。だから見ること読むことのなかで、詩が生まれてほしいと思う。書くことは絶えず、書かれざるものに向けての呼びかけであり、読むことは書かれざるものとの出会いを促すものでありたい。
今美術表現では、二〇世紀の始まりに似て、混沌と再構築のドラマに湧いている。作ったものの完結性自主性を破って、作らざる外部、不確定な世界の受動の力をどう受け止めるか。こちらからと向こうからの相互的な眼差しのダイナミズムに新たな表現の次元を見ようとしている。眼における即物的で不透明な素材との向き合いと違って、抽象性の高い言葉の外部性に気づくことは至難のわざに思えてならない。しかし言葉がその意味や存在性より、表現の中間項的な媒体として注目を集めるとすれば、以上の事柄と無関係ではないだろう。
(「あとがき」より)
目次
振幅――1988–2000
- 銀座
- 絵について
- 描くこと
- 眼差
- 振幅
- 彫刻
- 紙屑
- 転移
- 石と私と
- キャフェにてa
- キャフェにてb
- コーヒー
- 昼下がり
- 無題
- テレビ――石に捧ぐ
- 背中b
- 僕はと言うとき
- 郭公
- 三つの飲みもの
樹の傍らで――1986–1998
- 両義の眼
- 鎌倉
- 樹木占い
- 樹d
- 樹c
- 山つつじ
- 公園のベンチ
- 観えるもの
- 樹を眺めながら
- 樹a
- 樹b
- 樹のそばで
- 月
- 山と私
- 山頂b
- 枝の先
時の震え――1979-1987
踵の下――1970–1984
- 背中a
- 破片c
- しばらく空を眺めて
- 愛
- 毛筆
- 散歩b
- 散歩a
- 横断歩道
- 出来事
- 踵の下
- 復活
- 無題a
- 街で
遺跡――1959-1969
- 雷
- 石――亡き父に
- 遺跡
- 破片b
- 朝
- 傘
- 吸殼
- 竹または悲しみ
- 縦と横
- 秋から冬へ
少年――1952-1956
- 山路
- 少年
- 山頂a
- 校庭で
- 青い空の下
- 月夜
- 乞食の煙草
- サクッサクッ
- 山と海
あとがき