ひるがほ抄 室生とみ子遺稿集

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 1966年3月、「ひるがほ抄」編輯所から刊行された室生とみ子の遺稿集。編集は室生朝子。装画は安西啓明。

 

 母の死後父と一緒に、母の部屋の箪笥の整理をしていた時、思いがけず沢山の原稿類を見出した。父は母が何か書いているらしいことは知っていた。その微じられた原稿の量を見て、戸惑い驚いた父の表情を、私は忘れられない。「そのうちに我々の悲しみが落ちついたら、この原稿を整理して、一冊の本にまとめよう」と、父はその時言った。父は一枚の原稿も読まず、そのまま引き出しに納めた。
 脳溢血後の右半身不髄の母の毎日の生活のなかで、父は、頭を使う原稿用紙の枡目を埋めることを、母に禁じていた。従って母は、父が私と芝居などを観るために、長時間外出する時に、朱塗りの経机に向って書いていた。父は帰宅するなり母の顔を見て、「また君は今日原稿を書いていたね」とひとこという。母はきまり悪るそうにして、猫の背中を馴でている。妙な疲れが頬のあたりに漂い、それと反対に目はキラキラと光っている、母は自分に満足している顔をしていた。
 父に内緒にしていたある俳句雑誌に送った原稿料が、母が死んで間もなくとどいた。余りに少い稿料のため、父は暗い顔をした。その日の午後の散歩のかえり、母の好んだ浦鉾型のチョコレートを、沢山父は買って来た。原稿料の何倍かであった。長い間それは誰にも食べささず、自分の寝室の母の写真の顔に飾られてあった。
 母の死から三年ののち、父も世を去った。父のなきあとの慌ただしい月日を送っているうちに去年は母の七年忌をすませた。毎夏私は虫干しをしながら、今年こそは一冊の本にまとめあげなければと思いつつ、左手の鉛筆書きの肉筆の原稿を写しかえることが、苦痛のように私には気が重く思われていた。また現在の私と同年齢の母の文章を読むことが、娘を離れて文章を書く私自身にとって、こわかった。だが娘の甘い母親をなつかしむ感情の動きだけで、何時までも箪笥のなかにしまいこんでおいてはならぬ、事柄であった。短い随筆にその時々を思い出し、だらしなくも涙をこぼし、私が家にいなかったころの日記を見て、食事が愛情なく作られ粗末なことにも、哀れを感じたりして、写し終えるまでに時間がかかりすぎてしまった。
 父の命日に供え、親しい方達に読んで頂くことが、ありきたりな言葉の「父と母への供養」になるかもしれないが、父が一冊にまとめようと考えた事柄を、七年過ぎた今漸く実現出来たことが、私は嬉しいのである。
 母はひるがはを愛し、毎夏鉢植えを買い庭に移し植え、花のない夏の庭の中で夕方になると縁側に出て、じっと眺めていた。「杏っ子」の挿絵をかいて頂いた、安西啓明氏をおわづらわせして、一枚のひるがほの絵を頂戴出来たことも亦、私は喜こばしいのである。
(「あとがき/室生朝子」より)

 
目次

  • 山莊記
  • うづら子
  • 蟲の聲
  • 車、足
  • 早春賦
  • おもひでの記
  • 自轉車
  • その日その日のおぼえごと
  • 法要
  • 友びとよ
  • ゆめ(詩)
  • 村岡さんと片山さん
  • てつせんの花
  • 病氣
  • ゆきのした
  • 仔ネコの死
  • 童話、とんび
  • 日記(昭和三十六年十月―十二月)
  • 結婚
  • 新綠(輕井澤随想)
  • 仔ねこ(輕井澤随想)
  • ハブの死
  • 雀の子
  • ひるがほ抄
  • 悼 堀辰ちやんこ
  • 輕井澤途上
  • ひとたびかえりて
  • 輕井澤山莊
  • 淺間山爆發
  • ゆめ
  • ゆめ
  • 波の穗立ち
  • 久びさにて
  • 沓かけにて

室生とみ子年譜

あとがき 室生朝子


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