1980年2月、青葉出版社から刊行された高山擁子の随筆集。
茶道の茶の湯は一度沸騰させた湯に水を差し、少し抑えてから使います。同じ温度でも沸かす途中の湯ではいけないのです。
文章を書くことも、俳句を書くことも同じで、一度は心の中で沸騰をみなければなりません。そして、それを適度に抑えたものでなくてはならないのです。
戦前から俳句に関わっていて、いまだ一冊の句集も持つ気になれないのは、自分の作品がそれに見合ったものであるという自信がないからにすぎません。
俳句とは最も妥協を許さぬ詩型であり、誤魔化しが利きません。文章も同じで、書いたものは自分以上でも以下でもなく全く自分の裸であることの怖さは、とても書き捨てた文章を集めてみる気にはなれない筈でした。その気恥しさにあえて目を瞑ったのは、青葉出版の村上秀男社長と、高田文恵さんの陰の御支援によります。村上氏は私が以前教育委員であった時の教育委員長であり、その頃から何か残しておくようにと言い続けて下さいましたし、まだ若い高田文恵さんは渋る私から未整理の原稿を次々と持ち帰っては、四百字詰の原稿用紙にすべて書き移すという大変な仕事を、面白いからやらせてくれと全部引受けて下さいました。
上梓に当り句集よりも随筆集の方を選んだのは、私がそれだけ俳句作品というものを畏れもし、大切にも思っているゆえであろうかと思います。
折々の随想は、中国新聞、NHKなどの依頼によって書いたものと、俳句関係の雑誌に載せたものの中から拾いました。幼い書きようも、気負った文章も、それなりにその時々の私の真実であろうと思いまして、特に筆を加えることなくそのままにいたしました。
いづれにしろ、私の書きましたものはすべて亡き父に対する、迷いに満ちた信仰告白にすぎません。
(「あとがき」より)
目次
- 父恋い
- 絵と詩のあいだ
- 秋の七草
- 木椅子の創刊
- 矛盾と混迷の論理
- 一滴の海
- 広島の空の下
- われを置き去る夏の蝶
- 大会始末記
- かたくなな逆説
- 水妖詞館の人
- 感情草紙
- 鱶洲の生涯と死
あとがき