1981年3月、詩学社から刊行された太原千佳子(1937~)の第1詩集。第6回現代詩女流賞受賞作品。刊行時の著者の住所は練馬区下石神井。
昭和五十年四月から同年々末まで、産経学園自由ヶ丘・詩の教室の講師を勤めたことがある。これは、前任の村野四郎氏の亡くなられたあとを勤めるようにという土橋治重さんの慫慂に従ったものだが、太原さんは、そのときの受講者のお一人だった。
詩の話をすることは中々努力を要することで、月二回の講義は私にとってかなりの重荷だったが、当時手伝っていたデザイン関係の仕事の多忙という事情も加わって、年末には講師をやめたのである。
ところが、それから数ヶ月後に、太原さんから、詩を見てほしいという申し出があり、考えた末、引き受けることにした。
定期に作品を見せていただき、私が感想を述べるという方法であるが、今度の太原さんの第一詩集は、この数年の間の成果というわけである。
詩集の題名『物たち』は、私が幾つか思いついたものの中から、太原さんと相談して選んだ。詩篇の配列も相談して決めた。
『物たち』という題名を私が挙げた理由は太原さんの詩が、事物の質感に寄り添って書かれているからだ。
この詩集に収められた作品について、過去に、私がどんな意見を述べたかは全く忘れてしまったが、私が繰り返し述べたことは、思いではなく、思いを喚起せしめた事物を描くようにということだった。私がそういうことを、とりわけ強く述べたのは、思いで溢れている昨今の現代詩の放埒にうんざりしているからでもあるが、太原さんの詩の発想の中に、物への執着乃至愛着の傾向があるからで、それを後退させずに開花させてほしいと思ったからである。
この詩集に収められた作品が、物たちの新鮮な表情や切口をどれだけとらえているか、その評価はこれを読んで下さった方々に仰ぐほかないが、縁あってこの詩集にお目を通して下さった諸兄姉各位、この初々しい第一詩集に、何らかのご感想をお寄せ下さらむことを、お願い申し上げる。
(「跋/吉野弘」より)
秋のひと夜を台風が吹き荒れて、過ぎた。
楓の木は、あれほどの悲鳴を恥じらうばかりに朝かげの中に立っている。折れた青い枝をわずかに足もとに散らしている。
そのさゆらぎは、運動をしてたっぷり汗をかいたあとの心地よい疲労感のようだ。
木は二階の窓にとどくほど高くなっていて夏には大きな翼のような日かげをつくっていた。
二階の窓を開けようとカーテンをひいて、私は目を疑った。
窓一面、何というものがこびりついているのだろう。人間の吐いた炎のようなものの、毛がまじった猫の糞のようなものの、土ぼこりではない、泥水のようなうすいものではないよごれが、ガラスの外側をおおっている。
地面から吹き上げたとは思えない。一階の窓はよごれていないのだから。
見ると櫨の木の葉は、家の壁とこすれ合ったすり傷で痛んでいる。その傷からしみ出た樹液が強風で窓に吹きつけられていたにちがいない。櫨の木が吐きに吐いた木のあく!
それから秋は急速に冷えた。櫨の木は、冷えようもない体温を保っている緑の葉群の、心臓に近いあたりから、少しづつ遅い朱をにじませていく。空気が冷えるので、思わず知らず自らの体温を赤く発色させてしまうように。花のない木が花をとりもどす営為をかけていた。
私は、櫨の木の窓で、この詩集を編む作業を秋の深まりとともに、続けている。おずおずと言い出したことがかなえられて、吉野弘先生に詩を見ていただくようになってから数年たつ。その間、「北入曽」「敍景」と二つの詩集をお出しになった先生を目のあたりにしつつ、やさしさと鋭さが純粋なまま共存している先生の、詩に対する感性に接することの中から、多くを学ばせていただいた。詩は思いを、ではなく物を、映像をおいてゆくものと言いつづけていらっしゃる先生が、この詩集の題を、「物たち」とつけて下さった。今、あらためて物たちを、もう一度しっかりと私の詩のテーマの中に据えなおしたいと思っている。
(「後記」より)
目次
Ⅰ水・花・鳥の詩篇
- 海
- 満ち潮
- 貝
- 沼(泥/風/鴨)
- ttt
- 影
- あじさい
- ほととぎす
- 蝙蝠
Ⅱ道具・器物・建物の詩篇
- ピアニストの手
- 肩かけ
- ピアノ
- メヌエットの弾き方
- 調律師
- 石偶
- 立つ
- 絵筆
- 空家のあるじ
- 分教場にて
- 引越し覚え書
Ⅲ 女・親子・人々・その他の詩篇
跋 吉野弘
後記