2013年3月、深夜叢書社から刊行された恩田侑布子(1956~)の評論集。表紙はクリムト「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ」(部分)、装幀は高林昭太。第23回ドゥマゴ文学賞受賞作品。
小さい頃から川が好きだった。
静岡の街なかに生まれたが、三つで安倍川のほとりに引っ越し、川原が遊び場になった。南アルプスを源流とする急峻な川は、大谷崩(おおやくずれ)から大量の土砂を運んで、広大な石河原を形成している。遊びにゆくたび、流れにえぐられた新しい崖があり、誰にも踏まれていない砂地があった。本流に忘れられた三日月湖でのメダカすくい。日を浴びた灰色の累々たる石の隙間に逃げ込むカワラバッタ。川原は、子どもごころに果てしない場所に思われた。
成人するまで、志戸呂焼を家業にするとは夢にも思わなかった。いま、つるはしを片手に、山深く釉薬の原料を掘り起こす時、われながら二十一世紀に生きのこった狩猟採集民のような気がする。転居のたびに田舎住まいになり、ここ二十年来、<駿河なるうつの山辺のうつつにも夢にも人にあはぬなりけり>の宇津ノ谷峠から山一つ奥の谷間、江戸時代の煤けた荒ら屋に住んでいる。小学生の頃、竹やぶの下に住みたいと思った。その願いだけは叶ったことになる。
読書にとりつかれたのは、中一で手にした『歎異抄』からか。伯母からもらった新旧の『聖書』を片手に途方に暮れた。高校時代も勉学そっちのけの乱読時代。ツァラツストラに酔い、『往生要集』の地獄の描写に時を忘れた。大学のサークルは風前のともしびのブッセイ。漢字にするとかび臭い「仏教青年会」。同じ部室には、首相や政治家を輩出した「雄弁会」のみなさんが、机を分け合って侃々諤々の論議を闘わせていた。
生きていると宝のような出会いに恵まれる。仏教学者・太田久紀先生に二十五年間にわたって唯識思想を学んだこと。「酔眼朦朧湯煙句会」という俳諧自由の奇人の集いに参じたこと。草間時彦宗匠の「木の会」で、大人の文芸としての連句に目を開かされたこと。
俳句のかたわら書いてきた随筆・評論が、こんなに早く本になる日が来ようとは、ぐずなわたしは思ってもみなかった。齋藤愼爾さんから突然、「ぼくのところで本にしましょう」とお誘いを受けた。一九九六年から各誌に発表して来た分量は多く、何を選び、どう構成するかに迷い、推敲にも手間取った。気がつけば季節は一巡して、花芽が膨らんでいる。
(「あとがき」より)
目次
・序章
- 編み込まれた世界
- 写生 上村淳之画伯に聞く
・第一章 冬の位相
・第二章 身(み)と環(わ)の文学
- おのれを拓く発光装置・季語
- すっからかん 俳句と身体感覚
- 一句が出来上がるまで
- 破行(はい)く、という精神
- 未来につなぐ歴史的仮名遣い
- 寄生火山から本火山へ
- ことばの井戸
- 寵深花風 三橋鷹女
- 鷹女と短歌とロックンロール
・第三章 現代俳句ノート
- 質感の幻術師 長谷川櫂小論
- 俳句拝殿説
- 土と青螢 宮坂静生と手塚美佐
- 香(かく)の木の実 書評
- 大地の燈火――宮坂静生『季語の誕生』
- 創見の星空――秋尾敏『虚子と「ホトトギス」』
- 蒼穹の嗟嘆――藤田直子論
- よりそう言霊――中岡毅雄句集『啓示』
- 幻の屏風――中西夕紀句集『朝涼』
- 永遠の秘境――澤好摩点描
・第四章 名句の地平
- 恋・雪月花 俳句と生きた女たち
- あの世とこの世の境で 三橋鷹女
- 地上の恋 桂信子
- 青苔のように 中村汀女
- 一指の天地 名句の風景
- 久保田万太郎
- 飯田龍太
- 夏目漱石
- 阿波野青畝
- 有馬朗人
- 山口青邨
- 鷹羽狩行
- 齋藤慎爾
- 高橋睦郎
- 森澄雄
- 桂信子
- 金子兜太
- 種田山頭火
- 高浜虚子
- 林田紀音夫
- 渡邊白泉
- 西東三鬼
- 大野林火
- 石田波郷
- 飯田蛇笏
- 岡本眸
- 川端茅舍
- 竹久夢二
- 三橋鷹女
- 永田耕衣
- 中村汀女
- 眞鍋吳夫
- 宇多喜代子
- 橋本多佳子
- 星野立子
- 俳句の意力
- ゴータマ・ブッダ
- デュラス
- 五代目古今亭志ん生
- 岸田劉生
- ダンテ
- 道元
- 山崎方代
- 桑原武夫「第二芸術論」に応う 極楽への十三階段
・第五章 異界のべルカント――攝津幸彦
あとがき
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