風神雷神図 山村信男

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 1994年12月、私家版として刊行された山村信男(1933~)のエッセイ集。1993年まで文部事務官として京都大学勤務。

 

 生来ものを書く事が好きで、しかしながらそのわりにはこれといった際立った成果もなく、はや、知命の年代も過ぎていつのまにやら六十路に足を踏み入れてしまった。名実などというのは持ち重りするばかりで、と、たかをくくっていたわけではないが、どういう心境の変化か、このところちょっぴり欲の皮の突っ張りが芽生えてきて、いささかのバランスのとれた名実が欲しい、いや欲しかった…と、思いはじめている。今更に遅い、という気持ちは拭いようもないが。ただ、一昨年の秋、幸いにも私は『晩涛記』という叙事詩風の作品で、北陸中日新聞公募、第三回日本海文学大賞(詩部門)を受賞した。これは私自身特筆大書するべき事件で、前記の名実をいくらかは満たしたと思われるのでここに書きとどめる。で、何が特筆ものかと言うと、人生六十年の節目にはじめて頂戴した文学賞ということで、そのタイミングの良さに私は今もってその幸運を噛みしめているが、そのことが、還暦以後の生きる励みの源泉になるだろうと思うからである。
 ところで、書くことの興を覚えてより四十年の軌跡を、せめてコンパクトにまとめて一冊にしておきたい、と思い立ってもうかれこれ十年は経つ。五十代に入ったとき、生きていくうえで勢いがなくなったことをなんとなく自覚するところがあった。ま、今日まで健康に恵まれたことが唯一の取り柄、あとは付録だな、そして、定年を迎える六十歳にはささやかな人生の決算をして、後、どれほどの余命がさずかるか判らないが、できるだけ煩わしくない時間を無欲に生きたい…と。その人生の決算というのがつまりこの著作集なのである。で、決算であるからには、今日まで生きてきた証のようなわがつぶやき、妄言のアラカルトを、できるだけ精選して、六十年の収支に見合うべく配列すること。かくて、うる年も加えて一年三六六日に割り振った三六六篇の詩、乃至エッセイの類は、六十年を閲して、その六十回の季節、さらに細分された六十回の固有の日に相応しい、言わば人生の一日として定着させる配慮をとった。そのために、期せずしてこの一冊、ノンフィクショナルな自伝的様相を帯びることとなったが、そのついでに少し御託を挿入すれば、私はこれをかけがえのない私的時間を収視することで、個人的過去に自分の根を置こうと無意識のうちに努めた顕れだと…そして、個人的過去などは巨大な歴史的過去と比べれば有象無象に眺められようが、集合的で均質化傾向をもつ歴史的過去にはない、一人の生のかけがえのなさを顕現することにおいて、個人的過去こそ重要なのだとの思いに今更ながらにかられている。作品の出来ばえについては、いまだに完成度にこだわっている。詩については、世間に発表したもの、詩集に組み入れたもの等はかなりその段階で推敲の手が入っているが、未発表だったもの及びエッセイについては、そういう作業の経緯がないため大いに気が咎めるが、いや、このままの方で当時の気息というか背くささというか、それが正直に反映されているのでは...と、割り切ったが、本当を言えば到底推敲の手を入れる気力も、そして時間もなかったわけである。本のタイトルについては、最初の一月一日の作品が風神雷神図であることから、これを総タイトルに持ってきた。
 さて、わが人生の決算であるこの一冊を世に出して、それからどうする?余命の道が彼方へ続いているのが見渡せる。が、その道は遠近法の目の錯覚に依らなくても、そして、どうためつすがめつしても先細りの道であることは確か。あとは付録の人生、気楽に…といくら肩の力を抜いても老いへの道は決して平穏ではあり得ない。ただただ衰弱一途の道であろう。それを覚悟のうちとして、せめてなにがしかの望みをもって、一年一年、更新していける生きる励みなるものが欲しい。この実現には〈努力〉これしかないだろう。わが気力のほどがシビアに試されるのはこれからだ。今日出来たことは明日出来るという保証はない。老いの気息とは心細く余裕がない、今やれることは今やること…思うだに足元から寒気立ってくるが…。
(「序にあたって」より)

 


目次

序にあたって

  • 一月
  • 二月
  • 三月
  • 四月
  • 五月
  • 六月
  • 七月
  • 八月
  • 九月
  • 十月
  • 十一月
  • 十二月

 

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