2021年9月、思潮社から刊行された網谷厚子(1954~)の第10詩集。表紙画は福地靖、扉画は髙田有大。著者は富山県中新川郡上市町生まれ。
花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。
(『徒然草』第一三七段冒頭)
* 安良岡康作著『徒然草全注釈 下巻』角川書店参照日本古典文学専攻の私は、多くの古典を「変体仮名」の写本で 学んだ。日本語の助詞・助動詞の付属語の大切さに気づかされたのはこれによってである。教師になってからは、古来名文とされる『徒然草』第一三七段は、幾度となく声に出して読んできた。
比類のない美しい流れに心奪われながら、若い頃は、やっぱり「満開」「満月」以外賞でるものはないと、固く思っていた。
しかし、年をとると、〈月並み〉かもしれないが、歩道に散り、少し湿った花びらの美しさに心揺さぶられ、薄く雲にぼやけながら、海から昇った月に、そこはかとない風情を感じるようになった。「満開」「満月」は一瞬でも、その前後は思いのほか長く、時間とともに流れる自然の風景、音、大気の温度には無限の変化がある。それを捉えるのは、人の心、五感なのだろう。
人の〈感性〉は、年齢や身が置かれた様々な状況、もしかした ら社会情勢等にびっくりするほど左右されるものなのかもしれない。
私の二度の〈島暮らし〉は、閉ざされていた私の〈感性〉を一気に解き放ったように思われる。一度目は、竹芝から一千キロの 彼方、太平洋にぽつんと浮かぶ、小笠原村父島での三年間、二度目は沖縄の名護市字辺野古での一一年間である。お給料までいただいて、海で泳ぎ、離島をくまなく旅する生活は、私のちっぽけ でからっぽだった人生を、信じられないくらいに豊かにしてくれた。父島でのことは第六詩集「天河譚――サンクチュアリ・アイランド」(二〇〇五年)、沖縄でのことは第七から第九詩集までの「沖縄三部作」、「瑠璃行』(二〇一一年) 『魂魄風』(二〇一五年) 『水都』(二〇一八年)として結実した。
朝六時三分の常磐線に乗り、都会に通勤する生活から解放され、〈自然〉の大きな〈鼓動〉に揺られながら暮らした、かけがえのない時間であった。恐ろしくも美しい〈自然〉の中で、人はただ生きていることを〈許された〉危うい存在であることを実感した。
いつも変わらない〈緑〉や色鮮やかな動植物に囲まれていると、 たまに帰省したときの茨城の紅葉や落ち葉に、涙ぐみそうになったこともあった。〈自然〉が移ろうものであり、四季の巡る〈日本〉に生きていることの素晴らしさも、忘れてはならないと思った。
〈自然〉の囁きに耳をすませる生活から、「万籟」という言葉に巡り会った。
長い〈流浪〉の生活から茨城に戻ると、父母はすでに旅立ち、姿はどこにもなかった。ただ、今年も庭には、紅白の梅の花が咲き、李の枝が縦横に伸び、白い花をいっぱいに咲かせた。父母がまだ、私を暖めてくれているように感じた。(「あとがき」より)
目次
- 春奏
- あらみたま
- 耳について
- 万籟
- 荒城
- 神馬
- うたかた
- 天命
- 忘骨
- あなたの声が聞こえる
- 天の龍
- 生きる
- 光河
- 楼蘭
- 世界のどこかで
- 群青
- 涯のものがたり
- 花が降る
- 戦世
- 流離
あとがき
略歴