1967年8月、国文社から刊行された岡本潤(1901~1978)の第6詩集。著者は埼玉県生まれ、刊行時の住所は板橋区弥生町。
この前、やはり国文社の前島さんにすすめられてだした小詩集「橋」奥付をみると、一九五五年五月五日発行となっている。あれから、すでに十二年たったわけだ。年のせいかもしらぬが、地球の回転や時間の推移がおそろしく速くなったような気がする。まったく光陰矢のとしである。
その間、ぼくの内外にもいろんな変動があった。九年ほど前、ぼくの左肺に正体不明の腫瘍が発生し、おれの人生もいよいよこれでオシマイかとあきらめかけたりしたが、悪運つよく、J病院で切除手術の結果、また逆もどりして、今日までべんべんと生きのびている。
七年前のいまごろは、当時ぼくの所属していた組合の仲間といっしょに、国会議事堂をとりまく「安保反対」デモの渦巻や徹夜のすわりこみのなかにいた。その激闘のまっただなかで、機動隊の手にかかっ若い命をなげうった女子学生がいた。今日(六月十五日)はちょうど、その女子学生・樺美智子さんの七年忌にあたる。この闘争は、いわゆる「既成左翼」に対する幻滅と同時に、ぼくの内部にもふかい亀裂をもたらした。
十二年ぶりにだすこの詩集には、ぼくがとくに言葉のむなしさを感じた時期をはさんで、その前後に書いたものを拾いあつめた。そうしてみると、要するに、ぼくの内部矛盾や自己撞着が、こういう形になってあらわれたとしかいいようがない。それにしても、あじけない言のむなしさを噛んで、つねに詩と訣別しようとしながら詩を書くとは、いったい、どういうことか――
その寄せあつめに「笑う死者」という作品の題をとってつけたこの詩集は、しじゅう身辺に死者の眼を感じながら、なお生き恥をさらしていなければならぬひとりの男の、いつ絶えるかもしれぬ吐息やつぶやきのようなものでもあるだろう。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ
- 笑う死者
- 実験
- 黒い鳥
- 塔
- 遁走
- 死について
Ⅱ
- 十年
- N化学工場で
- 群像素描
- 綱をわたるアマゾン
- もうひとりのおれ
- 終曲と序曲
Ⅲ
- 章魚族
- 羊群
- 野良犬
- 危機
- 動物のいる風景
Ⅳ
- 季節はずれの小唄
- 見送り
- 石になった恭次郎
- いまいましい町
- カスバ
- 午前零時
- 不発の回帰
Ⅴ
- ダイヴィング
- 計算の狂い
- 溶けた女
- ある夜の出来事
- 奇怪な朝
- 街頭二題
- 埋立地で
Ⅵ
- おふくろのわらべ唄
- 恥ずかしいノート
- ゴール=スタート
- くたばれ祝日
あとがき