1996年8月、思潮社から刊行された貞久秀紀(1957~)の第2詩集。表紙写真は勝田安彦、装幀は夫馬孝。第2回中原中也賞候補作品
八つか九つの頃、瞬きが気になり、ひとたび気になると、目を見ひらいていたり、瞬きすぎたりして、ぎこちなくなるということがあった。意識しなくなるとともに症状は消えたが、このような話をすると、そういえばと膝をうつ者もいて、歩きながら手足がもつれたとか、呼吸にむらが生じたとか、部位はちがうがいろいろあるのを聞いていると、それほどおかしなことでもないのかもしれない。意識されてはじめて体が体になるならば、体が体であることから放たれるには、意識から放たれていなければならないということであろうか。
詩が在るかないかはわからないけれど、詩であると思われるものをことばにしたものを「詩」と呼んでみるなら、詩であると思うときにはすでに意識が働いていて、詩であると思われるものを「詩」にしてゆく作業にも意識が働いているから、詩が「詩」になってゆくには、二重の意識が働くことになり、「詩」は、二重に詩を隠しているともいえようか。
「詩」がたのしいのは、文字として固められた「詩」がぎこちない瞬きと似ていながらも、「詩」にしてゆく作業自体は、「詩」になりつつ詩へかえろうとする、背きあう運動としてあるからかもしれない。見ひらいたり、瞬きすぎたりしながら。
(「後書」より)
目次
- 正坐クラブ
- 口
- 庭
- 大阪
- 桜草
- 盥
- 水中
- 遠近法会話
- 草
- す
- 絶句日和
- 甘いものの集い
- フィルム仕掛け
- 田中理容店
- 筒ぬけ
- 並んで
- 配置
- 右折日記
- 【うり科】
- 菊
- 凹凸
- テーブル
- 冬の小径
- 冬ふたつ
- 窓口をわけあう
- 体力
- 枝の生活
- 満開ホース
- 父
後書
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