1935年12月、同人社書店から刊行された松田解子(1905~2004)の第1詩集。画像は1995年の不二出版の復刻版。
これが私の最初の詩集です。未發表の詩をも含めて一九二八年から最近までのものを纏めたのですが、Ⅰは戦旗を經て作家同盟に入り同盟解散の年までの作品、Ⅱは、新しく文化運動に關心をよせ初めた當時のもの、Ⅲは作家同盟解散後のものです。
詩集を出すに當り、自分の過去がこれらの詩の中に幾分の眞實を跡づけてゐるにも拘らず、猶、詩作上の本格的な精進、技術の工風の上に多くの不足を見出します。特に、一方で小説を書きつゝ痛感することは、對象のより徹底的な具體化と、それを通しての高き感性の獲得の難かしさです。小説に於ては、物質的なまでの具體性を以て對象を描きこなすことに骨身を削る思ひなきを得ませんが、詩においてはともすれば單に感情を感情として投げ出し思索を思索として投げ出すとい傾向が自分にはあります。私はこの傾向を小説を書く上の對象の具體的な獲得のためにする苦労によつても克服できるのではないかと思ってゐます。
一二の、特に自分の今後の詩の方向に深い關聯を持つだらうと思はれる詩について簡單に觸れたいと思ひますがⅠ「想ひ」Ⅲの「ふるさと」及び「辛抱づよいものへ」等は、私としては社會的にも亦詩を書く人間としても最も無理のない素材へ無理のない態度でぶつかつた作品で、それだけに、そこに多くの新らしきもの萌芽をみるといふよりは、一種の腰の据はり、落ちつき、安住さを見ます。それに反してⅢの「労働者」「ザール人民投票」「どよめきの中で」等はそれぞれが新らしい意圖の生産物なだけに多くの缺陷を持つてゐますが、私はこれらの詩の行き方に將來を見たいと思つてゐます。「労働者」では詩における對象のリアリティを追求し、「ザール人民投票」では時事的な素材の詩化への困難な發足を試み、「どよめきの中で」では、技巧上のあらゆる「巧さ」を第二義とし、兎にも角にも相手に分つて貰へる詩を、と心掛けたのです。これら今日の心掛が、順次複雑な對象にぶつかりながら、どのやうな意味でも無理のない腰の据はりを得るところまで、詩作しつけて行きたいと思つてゐます。
なほ、「辛抱づよい者へ」といふ題は、その題の詩を特に愛するからといふのではなく、私の詩全體の性格に相應しからうと思つたから名付けたのでした。
今日の状勢からくる色々な都合で途に採録できなかつた數篇の詩に若干の愛情を感ずるのですが、ともあれこの一冊をかうして世に送り出せたことに喜びを感じてゐます。
終りに、樂譜の御心配やら色々と激励して下さつた長谷川時雨氏、快く裝頓を引受けて下さった新井光子氏、並びに同人社書店の須藤氏に謝意を表させて頂きます。
(「跋」より)
目次
I
- 坑内の娘
- 母よ!
- 曲つた首
- 右腕
- 海女
- 全女性進出行進曲
- 起つ日
- 馘きられた父へ
- 神樣は奪ふ
- ぢつと坐つてゐる赤禿山よ
- あのストは俺等のストぢやなかつたか
- 表現と時間について
- 創造に對する渇仰を
- 故意の抽象(散文詩)
- 規律
- みつめてゐた
- 父へ
- 出かける者へ
- 子どもに
- 想ひ
- うばはれたひとへ
- 執拗に腹這へ
II
- 乳房
- 原始を戀ふ
- 煤けた窓から
III
- 勞働者
- 曳かれ行く人へ
- 泣き聲
- 韮粥
- ふるさと
- ザール人民投票
- 辛抱づよいものへ
- 哀悼の歌
- 身の輕さ、慾望の深さ
- どよめきの中で
跋
詩集『辛抱づよい者へ』復刻に寄せて
いま、なぜ、この発禁詩集か 松田解子
解題 土井大助
関連リンク
Wikipedia(松田解子)
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