ああべあなある 毛利珠江詩集

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 1992年7月、書肆山田から刊行された毛利珠江の第1詩集。装画は小宮山裕、題字は神田喜美子。付録栞は川口晴美「走る言葉が咲かせた薔薇の色は」。

 

 私的な事情で中近東のイランで暮らしていたことがある。そのとき私は靴音の響く部屋で一日の大半を独りで過ごしていた。「イラン革命」後の混沌とした国内政情、同時進行していたイラクとの「イライラ戦争」。品不足の商店街の窓ガラスには戦死者の顔写真がべたべた貼られていた。反体制者を公開処刑というショッキングな情報も人づてに聞いた。いつ何がどんなかたちで起こるか予測のつかない状況で、一人での外出は避けなければならなかった。ことばの問題もあった。ペルシャ語という、これまで耳にしたことの無い言語だった。挨拶程度しか話せない私が、何かに巻き込まれたら大変だ。どんなに大きな声で叫んだとしても、イランの人達にとって私はトッコウタイやサムライの国からやってきた外国人なのだ。ペルシャ語という言語空間で私の母国語はなんの意味も持たなくなってしまった。必要以上に緊張を強いられる現実は閉ざされていた。部屋のなかで繰り返す独り言は石の床に響く靴音のように、直接私に返った。誰もいない部屋で私は自分のことばを聞いた。第三者の存在で自己確認をするように私はことばを受け止めようとした。すべてを受け止めた訳ではない。その殆どを見送ったが、自分のことばをあれほど引き受けた事はなかった。驚きや、苦痛をすべて肯定するために、そして否定との狭間を乗り継ぐために私はことばを大量に使い捨てた。自己のなかの他者とことばを交わし、異なった言語と文化のなかにぽつんと存在する自分を感じようとした。密かに持ち込んだ超小型ラジオで聞こうとした短波放送は、砂嵐のような妨害電波で音声は既に消されていた。耳や眼から突然日本語を奪われ、私はこころを閉ざしてしまったのだ。すべてを否定することで自分の存在をくっきりと浮かべ感じとろうとした。
 ところが何週間かが過ぎ、私の耳に生のペルシャ語が入り、戦争や砂漠を抱える国の現実に目を向けられるようになったとき、聞けば聞くほど、見れば見るほど、私にやさしかった母国語が急によそよそしくなってきた。使い慣れた私のことばが現実にそぐわないような気がしてきたのだ。戦争や砂漠のことを書いた本はたくさんあり、読んだことがあった。戦争体験者の話をテレビで聞いたこともあった。でも、なにかが違うと思った。誰かの体験や知識に添って現実を見ていたのではないだろうか。私は自分自身のことばの発生の源はどこだったのか疑いを持った。意味を引きずりながら、行きたいところに行き着けないもどかしさを感じていった。個のもつことばの意味の限界、ことばで語られるすべてに不安を募らせていった。私のことばは不協和音と共に荷崩れを起こした。ことばを信頼し頼っていた私の存在も日に日にぼやけていった。私は自分の感性で話せることばを渇望した。
 アパートの北の窓から、雪の溶けたエルプスの山脈が見えた。樹木のない険しい岩山だ。南の窓からは、住宅の屋根の続く遥か遠くに土砂漠が見えた。淋しくなると私はいつも、あらゆる窓から外を眺めた。景色の彼方に視線を投げやる、山の稜線に、かすむ砂漠の地平線に望遠鏡のように焦点を合わせる。するとそこに瞬間的に場面が現れる。私はその場面を肉付けし展開させてゆく。薄暗いパザールの裸電球の下に見た、赤や、赤紫の、大きなものは、赤ん坊の頭ほどもあるざくろのように、くっきりとした存在に。それらの想像は感覚的なものに支配されていたといえる。そして私はときどき、部屋の小さな私を逆に覗き返していることに気付いた。私はそこに何を見ていたのだろう。その場面を設定する根拠はどこにあったのだろう。それはどんなメカニズムによって発生してきたのだろう。そんなことはどうでもよかった。私はただ、それらを快適な甘美なイメージとして享受していた。現実からの逃避として身についていたものだったのかも知れない。外と部屋とを仕切るガラス窓を通り抜けた視線によって、私は束の間入れ替わっていた。
 その後、イラクとの戦争状態が悪化した。約三年過ごしたイランからスーツケースひとつでイスタンブールに脱出し、肉体も精神も疲れはてて帰国した。今から七年前のことになる。帰国当時の私は、物音や暗闇におびえた。そして人との対話がスムースにゆかないことに気付いた。眠ると息苦しくなり、呼吸困難に陥ったこともある。これといった原因がわからず、無気力な状態で毎日を過ごしていた。そんなある日、何気なく入ったビルで一枚のパンフレットを手にした。「詩」、「ことば」という文字が目にとびこんできた。それまで詩というものに関心を持ったことがなかったが、私は迷いもためらいもなく受講の手続きを済ませた。そのときなんだかほっとしたのを覚えている。
 私はその教室で詩人の鈴木志郎康さんのお話を伺う機会に恵まれた。とても気長にご指導をいただきながら、私は衝動的に湧きあがるイメージをことばで定着させようとした。ことばは化石になって永い眠りに落ちていたのか、私に反応を示さない。すべてが風化して、原稿用紙の上には小さな砂が降ってくるようだった。どんなふうにことばと接したらいいのだろうか。私は手探りで先へ進んだ。そんなある日、その指先に触れるものがあった。色もかたちもわからないものだった。触れたのはアーベアナール(柘榴ジュース)ということばだった。私はこの夜、アーベアナールということばとイメージに両手をひっぱられ、一気に最終行まで案内されたのだ。未熟ながら私にとって記念すべき作品になった。卵座という同人誌に発表した最初の作品である。私にことばは蘇ったと言えるのだろうか。私のことばがかつてあったと言えるのだろうか。実感がなくていつも不安だ。それはことばで語られる私の存在そのものの不安に通底している。そんな不安をいつも感じながら詩を創ろうとする。ことばをたぐるとき私の貧しい感性は時間を飛び越える。何にも属さずとても自由になる。知識や想像を越えたイランでの暮らしが、私に強い影響を与えてくれたのだと思っている。想像はいつも自由だったのだから。想像とは感覚のなかに閉じこめられているものなのだろうか。それは無意識の記憶なのかも知れない。そのときの内部にある見えないもの、潜在的に凝縮されているものも私は見続けたい。
(「あとがき」より) 

 
目次

  • 背泳ぎ
  • テンション
  • 入り江
  • わすれっぽいつぽつくり
  • アーベアナール
  • フィンガーボール
  • ひとり遊び
  • 黒いたまごはつぶしましょうね
  • DON'TDISTURB
  • (ROUGEFLAMBOYANT)
  • 光の広場
  • 森のおはなし
  • ビリジャン
  • 群青のひと
  • 鼓動
  • 抑圧のばら
  • 待合い室


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