1976年5月、新日本文学会出版部から刊行された石川逸子(1933~)の第4詩集。装幀は井上正篤。
日中、大平洋戦争、と、中国、東南アジアへの侵略戦争のとき子どもだったものは、それから三十年がすぎて、かつてと同じ国家が、朝鮮、ベトナム戦争で肥え太り、いままた、朝鮮、東南アジアへ性こりもなく経済侵略をおこない続けている事実にいやでも突き当らざるを得ない。そして川や海には毒がながれ、たえまなく人は車に轢かれ、いつわりのコトバは巷にあふれ……。
かつて「その時おとなは何をしていたか」と、不審に思った私たちが、いま問われるがわにまわっている。地下の死者たち(天皇の名において殺され、また彼がいみじくも象徴する日本国家とのたたかいの途上で無念に死んでいった)は、昨年の天皇のかの戦争責任、原爆投下に対する傲慢無礼なことばをどのような思いできいたであろうか。いままだあのようなことをシャアシャアといってのけられる状態に彼を置いているこの日本をどのような思いでみているであろうか。
コトバは汚れ、ぶくぶくと臭く泡だっている。なめらかに淀みなくみごとな衣裳をつけてふりまかれるコトバはデマゴギーに満ち、その流麗さで本体を陰蔽しようとする。瘡のように私たちの周囲をおおいつくしている、これらのコトバたちをじゅっと消滅させていかなくてはならないだろう。七六年の春はくらくどんよりと曇っているが、やはり樹々にはやわらかな新芽が緑に芽ぶくのである。
書きためたもの(おもに一九七二年から七五年まで)を詩集としてまとめることで、怠惰なくらしの節としたい願いはあるけれど、どうなることやら。
(「あとがき」より)
目次
- 馬
- 風
- せっせっせ
- 祭
- 海を越えると
- もえる田
- 彼女
- 海のみえるレストラン
- 星さわぐ
- 夜
- おいちさん
- こんどは誰
- 私たち
- 私のなかに
- 新年
- 沼
- タローにいったはなし
- 耳
- ヒラメのこと
- デンワが鳴って
- 子どもと戦争
- 駅と狐
- 星のはなし
- '75夏
罠とひとびと――詩集を読んで 木島始
あとがき 石川逸子