1987年8月、書肆犀から刊行された木村迪夫(1935~)の第9詩集。編集・装幀は岩井哲。
「二行詩」に入らないか、と推めてくれたのは、むらの女友だった。中学校の同級生であった彼女は、詩はかかなかったが、ぼくには"詩"を書くことを推めてくれた。ぼくには精悍な活動家への資質は無く、さればといって、黙々として百姓仕事に全精力を傾注するような勤勉なむら人にはなれそうもないことを、彼女は見ぬいていたのかも知れない。
夏の夜の、満天の星空の下の土堤に寝ころびながら、自分たちの将来や、むらの行く末を語ったり、賢治や啄木を論じ合ったりしたことは忘れられない。その後、しばらくして彼女はむらを去ってしまった。
「二行詩」という雑誌が、今も存在するのかどうかは、かいもく識らないが、たった二行で現代詩を書く、という手法は、てっとり早かった。その志向するところの主宰者の根拠は、露ほどものみ込めないまま、机に向う余裕など執れようはずもない当時のくらし向きの中で、枕もとに、ペンと紙切れを置いて夜に向った。
一九五五年前後の、農村の近代化などいまだ気配さえ感じさせることのない、"もの言わぬ農民"の、絶望感に充ちた時代であった。したがって表現の方途は、ひたすらに己れの百姓としての社会的階級差別への糾弾へと走らせ、ときには自虐に陥り、ときには暗く湿った叙情にうらうちされたものばかりであった。三十年をゆうに経てしまった今、読み返してみると、あまりに未成熟なことば、むら流に言えば"けつの青味のいっぱいこびりついた"表現で、独り顔を赤らめている。顔を赤らめながらもなお、あの二十歳を前後した若かった己れの貌を、ひそかに想いうかべている。
(「自註」より)
目次
・昭和29年
- 終局
・昭和30年
- 夜明け
- 抵抗
- 煩悶
- 母(父亡く)
- 母(ねがお)
- 雪景色
- 醜世消ゆ(除夜の鐘)
- 憤怒
- 木立剪定(桑園)
- 浅春(採種畑に立ちて)
- 四月四日
- 家計
- 母の歴史
- 畔塗り
- 母の歴史
- 哀愁
- カスリ模様
- 生気
- 渇日
- たより
- あらし
- 日盛り
- たより(女工という名の恋人)
- 生きなさい
- 稲背負い
- 夜の風
・昭和31年
- 希い
- 流れ
- 山頂
- 暮れ
- 愛国心(成人の日に)
- 誕生
- 母帰らず
- 藁打つ音
- 世
- 母と子の家
- 来客
- 石
- 鋼鉄の足
- えれじい
- にくしみのふるさと
- 桑を摘む
- 濁流
- 脱出
- 過去なき人生
- 九月の抒情
- 経営改善
- 鉄塔
- 小野十三郎氏に
- ふるさとの抒情
- 病める空
- 破っぱ
- 不毛地帯
- 開かれぬ空
- トラック
- 晴れた日に
- 父を恋う
- 生について
- ぎふん
自註