1970年12月、黄土社から刊行された清水達(1916~)の第3詩集。題字は続木湖山、装画は相沢光朗。著者は鳥取県生まれ、刊行時の住所は横浜市戸塚区。
近頃、「異常」とも違い、ましてや「奇矯」とも違うが、一般に普遍性だとか必然性・論理性などといわれているものの逆の立場からの思考によって、ものの認識をはじめる傾向が強くなってきたように自覚しだした。これが、ぼくの詩を支える柱になっているように感じている。これは、ある種の文明批評でもあるユーモアとかアイロニーなどと、一脈相い通ずるものであろうかとも思っている。
「新しい」ということは、手垢のついた常態を超えるところから出発するというのが、ぼくの持論でもあるので、こうした認識方法は、自然のなりゆきかも知れない。
いまさら、「詩は言語による美学」であるなどというつもりはない。ただ、ありふれたわれわれの生活の中で、何かおかしさとか、おもしろさとか、おどろきを感じたとき、それがぼくに新しい眼を開かせてくれ、そこから推敲がはじまる。ぼくのミューズの神は、奇妙な姿をして現われて、ぼくの存在をあらためて問いただして驚かせたり、ときに、くすぐったりする。
さきの詩集「昏迷」への不満から、この詩集を上梓してみたのだが、尾触骨などというものは、いっまでもついてまわるものらしく、まだ、満足というわけにはいかない。しかし、このへんで一つの区切りをするのも、意義のないことでもあるまいと、快癒をまたずに退院する患者のように、思いきってみた次第である。
幸いに、この些やかな冒険に、続木湖山、相沢光朗両氏のご協力を得られたことは感謝この上ない。ぼくはふたたび、この詩集を一つの踏台として跳躍したい意欲にもえはじめている。
(「あとがき」より)
目次
- 辞書
- 圭馬
- 不信の季節
- 鏡の内側
- みぞれ
- 疎林の蔦
- 不眠の夜
- 誤解
- 鎮座
- 理髪店
- 人食い魚
- 拒絶
- 潜る
- 孤りの木
- 痩犬の賦
- 日曜出勤
- 鎌倉明月院
- 流行らない老医師
- 悔恨
- 幽鬼
- 油断した春
- 漂鳥
- 霊柩車
- 春と憤り
- ことば
- 人生
- 化かす
- 野辺のおくり
- 無惨な薄明
- 村社
- 紙風船
- 漂泊の辞書
- 証明
- 横浜埠頭
- 鯉の生作り
- 陥穽
- 訃報
- 紛失物
- 自嘲
- 螢
- 一献
- 魚屋にて
- 春の呪文
- 遺族
- 神託
- 髪
- 時間
- 老眼鏡
- 祠
- 快癒
- 毛虫
- 実在論
- 詣でる
- 土龍
あとがき