1996年5月、不識書院から刊行された太宰瑠維(1924~)の歌集。
四十年も五十年も前の歌を、あらためて活字にすることに躊躇いがあって、放置してあったわたしの初期歌篇だが、戦後五十年を奇縁に、すこしずつ整理をはじめ、これが最後の機会かと考えて、思い切って本にすることにした。ほとんどの資料を一九七四年の居宅の火災で失っていたが、幸い歌のノートが残っており、それを頼りにしてとりまとめた。
巻末に掲載誌別の歌数一覧をかかげたが、土屋文明が創刊を呼びかけたアララギ地方誌のあいだでは、出詠が比較的自由だったこともあって、初出は多岐にわたる。表記は現代仮名遣いに統一し、未発表のものも三十余首を加えた。一九四六年から五九年までの作品、全部で三八九首である。
病弱のため、兵役を免れて敗戦を迎えたわたしは、戦時下の暗い日日から解放された一九四五年の秋、京大アララギ会の野場鉱太郎、出崎哲朗、鈴木定雄なとと知り合い、短歌に対する異常なまでの愛着をもって結ばれていった。そして翌四六年の一二月には、関西アララギ会の「高槻」を脱退して「ぎしぎし会」を結成することになったのだが、このささやかながら、かなりラディカルともいえる短歌革新運動の中心にいたのが、出崎哲朗である。
出崎はわたしより三歳年上の、一九二一年生れで、「真の文学としての短歌」を標榜して、次のように書く。僕らは日本人として歴史の最も痛烈な時期を生きのびてきた。(中略)青春を戦争にかけた若き世代に身を切るやうなくやしさとうらみのない筈はない。(中略)一首一首がいつでも真剣勝負なのだ。(中略)青春は奪回されねばならぬ。そしてあゝうれしいことに青春とは年齢を問はぬ性別を問はぬいのちの暁紅ではなかつたか。(中略)花鳥風月もとよりくそくらへである。現実に匕首を突き刺して火花と散る以外僕らの道はないだらう。(「京都アララギ会詠草」46・12)
出崎は温顔に笑みを絶やすことなく、和服のよく似合う書生風の男であったが、このようなほとばしるような言葉を書きつらねて、仲間を励ました。そしてわたしと同じ結核を患い、一九五〇年の二月、二十九歳の若さで夭折した。
若し出崎がいなかったら、わたしがここまで短歌に執着することはなかったのではあるまいか、とさえいまに思う。
わたしが歌をつくり始めたのは戦争の末期で、一九四四年にアララギに入会し、戦後ながく土屋文明の指導を受けた。四八年に大学を卒業したが、健康診断でいつもひっかかって、なかなか職に就けなかった。やっと友人の紹介で貿易商社に入ることができ、四年間働いた。そのあいだ病気欠勤を繰り返し、休むたびにより重症となり、五二年にはとうとう療養所に駆け込んだ。その後自宅療養をもふくめて、五年のあいだ療養生活を送ることになる。五七年から中小業者の組合の仕事に就き、五八年には妻のよし子と結婚した。
この間、戦後いちはやく近藤芳美氏から強い刺戟を受け、「ぎしぎし会」解散ののち、一九五一年の「未来」創刊に加わり、ひきつづき「未来歌集」にも参加することができた。また五四年には高安国世氏の「塔」発足にかかわり、しばらく編集その他の発行事務に携わった。同じく京大アララギ会の仲間で、「フェニキス」を創刊した河村盛明との交友も忘れがたい。
一九五六年には青年歌人会議に加わり、塚本邦雄、上田三四二など諸氏と相識る機会があったが、それも長続きせず、まもなく作歌を中断してしまった。
この歌集に収めた作品は、戦後という時期を、病気に苦しみながら凌いで来た日日の、感傷や繰り言、あるいは悲鳴といったものに過ぎないように思える。ただ、失意のなかにもひと筋の光明を探し求め、「自由」を目指して生きてきたことの証として諒として頂けるであろうか。考え方のうえでも表現のうえでも、未熟さが色濃いが、嘘はなかった、ということは言えると思う。
この時期、アララギの文明選歌欄に百首余りの歌を採って頂いたことは幸せであった。その中には例えば夜半過ぎし厨に夕餉の鯖の骨つつきつつ思う憎きダレスの言葉(一九五四年)
病み呆けし結核患者と見くびる勿れ死を賭して闘わん我等あり
蛇行デモ軌条を越えて雪崩るるを阻止する警官隊の数増して来ぬ(一九五五年)のようなものまであり、先生の励ましと受止め、いまも感謝の気持でいっぱいである。
『太陽が西から昇った』というのは、変った題と思うが、あの頃のことを思うと、何故かこの突拍子もない命名がふさわしく、ぴったりした気持になるのである。あの頃、太陽は確かに朝あさ西から昇った。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ(一九四六~四七)
- フライパン一つ
- 狂いたる時計
- ジープより
- 信徒
- DAY DREAM
- 大山歌会前後
- 長野林檎
- 下げたる傘
- 襟立てて
- 卒業期
Ⅱ(一九四八~四九)
- 松の花の下
- 旗立てて
- 簀の日覆
- 蠅二匹
- うちなる自負
- 一つ机
- 署名
- 枇杷
- 天上の火
Ⅲ(一九五一~五三)
- 三たび病む
- 柿の枝
- 道化じみたる
- レモン
- 片寄りし雲
- 封書
- 偽りて
- 国立宇多野療養所(一)
- 国立宇多野療養所(二)
- 国立宇多野療養所(三)
- 小さな平和
Ⅳ(一九五四~五五)
- ジャズ
- 太陽が西から昇った
- 中国映画祭
- 知恩院
- 死を賭して
- 悼歌二篇
- 紙片
- 『松川歌集』に寄す
- 海岸通
- 蛇行デモ
- よき未来
Ⅴ(一九五六~五九)
- 為すべきこと
- アカハタの歌
- 画鋲
- 饒舌の中に
- 野菜の値段
- 構想力
- 負けてはならぬ
あとがき