北を指す針 内海繁歌集

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 1979年4月、内海繁歌集刊行委員会から刊行された内海繁の第1歌集。装幀は黒川録郎。刊行時の著者の住所は姫路市。付録栞は、黒川録郎「「『北を指す針』に懐う」、松井岩男「『北を指す針』と南龍夫、川口汐子「恵郡山の雪」、小林武雄「わが友へ」、安藤礼二郎「『山小屋』のころ」、木村守雄「繁先生と女性たち」、尾上久雄「真の自由主義者内海繁先生」、古知正子「二つの詩句」、尾田龍「心通いあえる人」、玉岡松一郎「内海父子と私」。

 

 現代の短歌界に籍を持たない、いわば歌壇のアウトサイダーである私が、学生時代から今日までの半世紀(一九三〇年―七八年)にわたる期間の短歌作品を収録したこの歌集を編みましても、これが一般に「歌集」として受取られ、扱われるという期待や願望は、持つべきではないし、持ってもおりません。
 しかし、「短歌は自画像であり、歌集は自叙伝である」と主張してきました私の短歌観による、これはかけがえのない私の「自叙伝」として、昭和の五○年間――一五年戦争の暗黒の時代と、戦後の激動する三〇年の歳月を、傷つき苦しみ悩みながらも一すじに生きてきた一人のインテリゲンチャが、日本の伝統的短詩型を愛用して書き綴ってきた「小さな魂の記録」として、読みとってもらえるなら幸いだと心から念願しています。
 私は、旧制高校時代から友人たちと文芸雑誌を出して詩や短歌に熱中していたのですが、一九二九年に京都大学へ移ってからは、深刻化する世界恐慌の中で、満州事変開始へ向かう軍国主義ファシズムのまがまがしい台頭に衝撃され且覚醒され、それに対して激しく展開されていた抵抗運動に青春を賭けて参加するようになり、ほとんど文学をかえりみるいとまもないような学生時代を過ごしました。
 しかし、一九三三年、運動の挫折の中で辛うじて卒業しましたものの、郷里の山村に蟄居閉門的生活を余儀なくされてからの数年間を、私はまた文学に集中し、「短歌評論」「啄木研究」「詩精神」「詩人」等の雑誌に拠り、南龍夫の筆名で短歌や詩や評論を熱心に書きつづけました。
 ところが、日中戦争へ、世界大戦へ、太平洋戦争へと突入してゆく狂乱の世紀の「暗い谷間の季節」は、私たちを追いつめてついに文学の中断と沈黙に閉じこめてしまいました。「剣戟の音ひびく時、ミューズの神は沈黙する」ほかなくなり、残るのは「軍歌」だけになりました。
 一九四五年、漸く戦後を迎えた焼土に、いちはやくきこえてくる「歌声よおこれ」というさわやかな呼びかけに、私は胸を燃やして起ち上がり「新日本文学会」や「新日本歌人協会」に参加して、それらの姫路支部を作り、また阿部知二氏や初井しず枝さんらと「姫路文化連盟」を作り、東奔西走する中で、今度は内海繁の実名で書きはじめました。しかしながら残念なことに、朝鮮戦争の前夜から日本は急転回して逆コースを辿りはじめ、平和も自由も民主主義も僅か数年間の夢に終ろうとする険悪な情勢を迎えて、私は平和の擁護、原水爆禁止運動、憲法の擁護、国際平和友好親善運動等に転進せずにおれなくなりました。そうして爾来ついに二〇年近い歳月をそれらの運動の中で過ごしてしまいました。
 それを私は後悔していませんが、この期間の文学作品の量も質もまことに貧しいことだけはおおうべくもありません。
 そういう運動から一歩退いて、文学へ回帰し専念するようになったのは、七○年頃からで、私はすでに六○歳になっていました。
 したがって、短歌を作ること五〇年にわたると言いましても、何回かの中断期間を除きますと、実質的には断続の二〇年ほどに過ぎませんし、それは単に量の問題として貧しいだけでなく、質の面においても持続的発展ということを欠いているにちがいありません。
 そういうことを承知しながらこれを上梓することに、私は強いためらいをおぼえずにはおれませんでしたが、各界各方面にわたる友人知己の方々が、強力な刊行委員会を作って下さっての激励と慈憩に感奮して、踏み切ることができました次第です。厚い感謝をこめてこれを記しておきます。
 さて、以上のような性格と内容の作品集でありますため、これを「戦中篇」と「戦後篇」に区分しましたが、仮名づかいは戦中篇も現代仮名づかいに改めて全篇を統一しておきました。そして五〇年間の長期にわたる作品群ですから、時代背景や作品の生まれた事情や経緯の理解の一助として、巻末に「年譜的解題」を付記しましたから、作品と参照していただけると幸いです。
 なお、題名は集中の「磁石の針」から採りましたが、これは私の生涯の生きざまを象徴するような感慨が深いからであります。
 また、私が短歌の世界で最も敬愛していた先人であり、私の作品に最もよき理解と評価をして下さっていた渡辺順三・大塚金之助両氏はすでに亡くなられましたので、忙促たる思いをしながら敢て私自身がこの自序を記しましたことも付記しておきます。
 最後に、あの長い惨烈な戦中と戦後を、さまざまな苦難に耐えて来られ、今はもう若くはない世代の人々も、そしてまた、戦争を体験することのない幸福な世代に生まれながら、しかしこのまま進めば、未来は決して明るくはない時代を生きねばならない若い人たちも、この貧しい「小さな魂の記録」を、昭和という時代の一つの証言として、さらにこの短歌で綴った一人の人間の自伝を、明日への考察の何らかの一助としてお読み下さることを、衷心よりお願いする次第であります。
(「自序より」)

 

目次

自序

●戦中篇 

  • ・一九二九年――十一九三二年作品 (20歳~24歳)
  • 暗い大学 
  • ・一九三四年――十一九三八年作品 (25歳~29歳)
  • 動物園で (一九三五年)
  • 亡友の母
  • 夜の女
  • 松風の音
  • 早春
  • 彼の死
  • 思い出の街
  • アリランの歌
  • 低迷
  • 朝霧の中で 
  • 雪の首都 (一九三六年) 
  • 妖刀村正
  • 雷雨
  • 御時世 (一九三七年) 
  • グラウンド
  • 砂塵の中で
  • 磁石の針
  • 銃火
  • 幼な子
  • 戦死
  • 師走の巷に
  • この人たち (一九三八年)
  • 蠍 (さそり)
  • ・一九三九年―—一九四五年作品(30歲~36歲)
  • 吾子逝く (一九四〇年) 
  • 十二月八日(一九四一年) 
  • 檻房 (一九四三年) 
  • 六月の夜(一九四四年)
  • 独り
  • 悲独(一九四五年)
  • 早春譜
  • 五月
  • 空襲来
  • 八月十五日

●戦後篇

  • ・一九四五年――一九四九年作品(36歲~40歲)
  • 飢えの日々(一九四六年)
  • 闇市風景 (一九四七年)
  • 入道雲
  • あけくれ (一九四八年) 
  • ・一九五〇年――一九六六年作品 (41歳~57歳) 
  • 安保轟々 (一九六〇年) 
  • モスクワ・北京 (一九六一年)
  • ベトナムの炎 (一九六六年)
  • ・一九六七年――一九七八年作品 (58歳~60歳) 
  • 元旦に思う (一九六八年)
  • 広島平和公園 (一九六九年)
  • うつそ身 
  • 告別の譜 (一九七〇年) 
  • 馬籠・妻籠の旅 (一九七一年)
  • 孫(一九七二年)
  • 紅衛兵
  • 視力衰亡(一九七四年)
  • 赤い月
  • 飛鳥路
  • 晩春(一九七五年) 
  • 津和野・萩
  • 原爆忌
  • 西蒲田閑吟
  • 八月十五日回想 (一九七六年) 
  • 台 風十七号
  • 茫々三十年
  • 霜降る春に
  • 家島行 (一九七七年)
  • ヒロシマの日に
  • 歲末
  • 来し方
  • この日頃(一九七八年)
  • 視力無残
  • 三十三年目の八月十五日に
  • 「いつかきた道」
  • 銀杏並木

年譜的解題

 

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