でぽー 京陽出美詩集

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 1981年4月、編集工房ノアから刊行された京日出美の第6詩集。表紙はタカヤスハルヨ。

 

 こうした場所に置かれる文章の型のようなものに做ってしまいそうな思いもしながら、京陽出美さんを知ったころを考えているうちに、手もとの辞書を大小二つ引羽目になった。
 というのは、十数年前、それぞれの別の用で同じところへ行って隣席の京さんをはじめて見たのだが、そのときの言葉は交さなかったまったく初見の印象が「幽鬼のようだった」と一応はなってきて、しかしそれではすんなりと落ちついてこないからである。そうなのだ。私は「幽鬼」を引いたのだ。
 辞書は役に立たず、あらためて初見の京さんを宙に描いてみた。
 白いスーツ、その背に長い髪が垂れて、顔はスーツよりも白、ではなく蒼白に煩は削げ、大きな眼だけがわずかに生色を湛え――およそはこんな具合で、こちらの話のとぎれめにふっときこえることもある会話では、熱意と虚ろがないまざったような独異な調子で何かが語られていた。
 それから、こんどは見るだけでない知り合いになったが、間もなく京さんは大患に倒れて入院している。事態を早くに感知したなどと誇る気は毛頭ないけれど、私の初見の印象が、落ちつきのいい形容に至らぬなりに一つの実感だったのはわかってもらえるだろう。
 京陽出美詩集はこれで六冊になる。
 四冊目から何ほどかの手助けをしてきて、作品以外のものを付随させない京さんの本作りをのみこんだつもりの私に巻末の文を草せよと異例な発企である。必然、思いはさかのぼらざるを得ない。
 病弱というよりは病強――かつて菊岡久利さんにこう評された人が私の親愛な先輩にいた。この菊岡さんの言い方は相当な程度、京さんに当てはめていいようである。
 知り合ったころ、京さんに同性同年輩の詩人の友だちが何人かいたのを覚えている。だが、現在そのひとたちが詩を書いている消息はない。もう少し範囲をひろげて、ある時期京さんのまわりに多く見かけたやや若い同性詩人たちに指を折っても、いまも詩を固執している数は多々たるものだ。
 一方にそういう事例を配すれば、今日なお医師との縁がきれぬ(外貌に幽鬼的残影はまったくないが)彼女の、一見たよりなげでいて実は勁い独往のすがたがよく見えてくる。
 同時にまた、そんな観点とかかわりなく京陽出美が存在する事実も落とせない。
 目下休止状態の『ふらん』『ふらん別冊』の二誌が京さんにはある。前者は発行ごとに何人かの作品を招請したが本質は個人誌、後者はよりはっきりと個人誌(イラストはタカヤスハルヨ)である。
 独往ということの見えるかたちがこれなので、つまり彼女は拘束を甚だ厭い、人間やら女やらであるためにまぬがれ得ぬ原初的な被拘束感との軋轢までを、あきらめずに厭うてそこから詩を書く。そして多分、詩を書くのはとりあえずなので、それが六冊もの詩集になってしまったのは、他に目ぼしいとりあえずがないせいではなかったか――
 こっちの方が一層に京陽出美ではあるまいかと私は思いもするがさて本人はどう言うだろう。主張せず論じない京さんにたまには何か言わせてみたい。
 主張よりも論よりも作品がすべて、などとも言わない京陽出美はもちろんそのままでいいのだが、しかしたまには少しという悪意を私が起してもそれはそれでやはりいいことであろう。
 ところで、ならばふだんの彼女が寡黙かとなると、決してそうではない。たいていは酒を前にしてだが、話題は多彩で一流の観察からの截断が特に演劇、美術に関しておもしろいのである。そしてもう一つ、私は前言を部分的に翻えさねばならないが、愛息茂君について語りはじめた京さんの声音、表情には、厭わしきもろもろの拘束のうち母というそれに限って例外としているところが瞭然としてくるのである。
 さて、こんどの詩集では、どうしても「でぽー」という書名が印象にとびこんでくる。不学な私は説明されてはじめて納得したが、その納得(日本語の「荷物置場」を通じての)は、いま徐々に沈着しつつあって、多分、本ができたときにはすっかりおちつくに相違ない。最初の詩集「野宿」から、京陽出美というひとは書名の択び方の上手な、そしてここでもまた独往の筋をぴしゃりと通しているひとである。
(「さかのぼる思い、その他/寺島珠雄」より)

 

 

 五冊目の詩集を出してから、五年を迎えようとしています。重い荷物を背負ったような気分のまま、家族二人の相続いての死あれやこれやの私情況のなか、疲れた足を引きずって今日に至りました。
 やっと六冊目の詩集が出来あがり、文字通り荷物置場の意味あいをこめて、題名を考えました。でぽー。
 やっと一段落つけた気がしています。詩のほか、十年何とか続けています”詩誌ふらん”のあとがきに記してきた言葉をあつめてみました。いつもながら、寺島珠雄氏の厚い友情に助けられ何とか発行にまで漕ぎつけました事を深く感謝しております。
(「あとがき」より)

 

 

目次

  • 椅子――Q夫人の風景Ⅱ
  • Where is……
  • 予感 
  • 風化しつづけるつづら
  • 佇み
  • 手術まえ
  • 別れ
  • ある日
  • 末期またひとつ
  • 季節
  • 道Ⅰ
  • 道Ⅱ
  • おうむの会話
  • 小さな世界への挨拶
  • おど おど おどろおどろ
  • 荒れはてた庭で
  • プチ・プチットモール
  • 青い・ミサ
  • すき間かぜはいつも
  • こよなく部屋であることの
  • ………………?
  • 珠のうえで
  • さあ お言い
  • とびら――Q夫人の風景Ⅰ

  • 叛きに始るさえ芝居であることの芝居

  • 「ふらん」の暦から

 

さかのぼる思い、その他 寺島珠雄 
あとがき

 

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