岡本彌太詩集 瀧篇 岡本彌太

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 1985年12月、泰樹社から刊行された岡本彌太(1899~1942)の詩集。監修は山川久三。著者は高知県香美郡岸本町生まれ、

 

 岡本彌太の詩集『瀧』の復刻刊行が、やっと実現の運びになりました。しかし、岡本彌太といい、『瀧』といっても、ぴんとくる人は少ないだろうと思います。明治三十二年に生まれ、四十三歳と十か月の生涯の大半を、小学校教師として高知県で過ごし、昭和十七年に亡くなったこの詩人については、若干の解説が必要でしょうし、同時に、なぜいま岡本彌太なのかという問題提起も必要とされるでしょう。
 岡本彌太の詩人としての特性を、いま思いつくままに挙げてみますと、地方性・土着性・民俗性・宗教性・実存性・孤立性・周縁性・不遇性など、いくつかの語が浮かびます。一言で言って、不幸な詩人でしたし、今なお不幸な詩人であるといっていいでしょうが、この不幸という性格ひとつとっても、この詩人にあっては、考察に値する問題が含まれているように思われます。岡本彌太の「主張断片」という短文の中に、「自分は今、村に住んでゐます。過去もさうでした。自分の詩生活に於て(村)は実にその背骨です。自分はこれからも、村、乃至村に於ける自己の生活肉体を書かうと思ってゐます。」という一節があり、また散文「わが琴歌」の中に、「僻遠の不幸なる幸福」という逆説的な一句もあります。この二つの文言をつなげてみれば、そこに、この詩人がわれとわが身に課していた、詩人としての位置づけが、おのずと浮かびあがってくるように思われます。
 「辺陲」という語を、この詩人は好みましたが、辺境土佐の地にあって、生の根源を撃つ詩のメッセージを送り続けることを、この詩人はおのれの使命と心得ていたと思います。そのメッセージに込められた詩精神と生活実体は、半世紀後のわたしたちにとって、無縁のものか、あるいは依然としてわたしたちを撃ち続けるものか。そこに、今回の『瀧』復刻の意義は、かかっていると思えるわけですが、ここには、過去の詩作品を懐かしむ回顧趣味もなければ、希少品を珍重するアンティークの嗜好も存在しません。切れば血の噴き出る、すぐれて現在的な問題が蔵されている筈で、そのことは、この詩集を開いていただければ、理解のゆくところだろうと思います。
(「あとがき/山川久三」より)

 

目次

岡本彌太資料写真

  • 白牡丹圖
  • 白痴平吉
  • 海と母
  • 利鐮
  • 母の碑
  • 雲の彼方
  • 急湍
  • 落日(母の靜物)
  • 心境
  • 瀧(其の壹)
  • 瀧(其の貳)
  • 瀧(其の參)
  • 無名と靑葉
  • 樂書の人物
  • 父の寢臺―病牀篇
  • 修羅の旅商
  • 劍山(或は無明)
  • 冬の連禱
  • 遺傳(壹、貳、參)
  • 歸鄕
  • 滿潮
  • 雞頭
  • 螢(壹、貳、)
  • とみこ
  • とみこ(其後)
  • 浮世小路
  • 徨ふもの
  • 懸崖
  • 妹へ
  •  虹(壹)
  •  白墨の汽車(貳) 
  •  タ榮(參) 
  •  鉛筆の走書き(四) 
  •  椎の稚葉(五)
  •  屋根裏の夢(六)
  •  龜裂 (七)
  •  カインの一族(八)
  • 光明眞言
  • 母の詩
  • 燈と生涯
  • 向日葵
  • 石工
  • 十字星
  • 不死鳥
  • 骨壺
  • 嗚咽
  • 白斧の秋
  • 三稜燈火
  • 秋の燭
  • 無題
  • 湖(貳)
  • 劍の愛

昭和七年刊『龍』所收資料
年譜
解説に代えて 
あとがき


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