1967年5月、春秋社から刊行された細谷源二(1906~1970)の自伝。レイアウトは藤田初巳。著者は俳人。東京新宿区山吹町生まれ、刊行時の住所は札幌市北4条。
北海道に渡ってからの開拓生活は、重い石を縄で吊しているような状態であった。風雪にさらされて、その縄がいつ切れるかわからない。飢えと疲労と貧しさに、不安・焦燥の連続。その危機一髪の状態のとき、俳句が取りもつ縁で、砂川市の東洋高圧に拾われた。ささやかな幸運というべきであった。
それから、しばらく平坦な道を歩いた。本書の幼年期の物語は、この時代に書きあげた。
やがて停年退職の時期が来て、まだ使えば使える鎖がぷつんと断たれた。しかし、それにしても、宮仕えがいやになり、砂川から札幌に出て、すすき野という盛り場の地下街に「源二の店」というのれんをかけ、ささやかな酒場を開いた。ところが、お定まりの武士の商法ですっからかんになり、一年足らずで店をたたんだ(この間の顛末は、春秋社の機関誌「春秋」四十二年五月号に書いた)。そして、今度もまた俳句とのかかわりあいで、池田工務店に救われて、そこの倉庫番、これもまたささやかな幸運である。
本書の後半部は停年以後にまとめた。人並みに還暦も来て、頭髪にもとみに衰えが見えたので、ここらで一生の落第記を整理し、世の笑いぐさに出版しようという茶目っ気を起こして、旧師の藤田初巳氏に相談したら、春秋社に出版を交渉してくれた。春秋社にはふるい俳句仲間の西垣鼎君がいて、初巳先生とともに原稿の整理から出版までの世話をやいてくれた。ささやかな幸運がふたたび訪れたというべきである。おまけに、二十七年も前に会った藤井重夫氏(四十年度直木賞受賞作家)から手紙が来て、旧交をあたためることとなり、本書の紹介に大きなアドバイスをしてくれた。
援助といえば、砂川移住以来発行をつづけている俳句雑誌「氷原帯」の会員諸氏が、私の還暦祝いの意味で本書の予約金を集めてくれた。「ささやかな幸運もたび重なれば大きな幸運となる。「芸は身を食うふしあわせ」と女房は思っているらしいが、私にとっては「芸は身を助ける」といいたいところだ。われわれ俳句づくりのご先祖の芭蕉は「似合しや新年古き米五升」といって喜んだが、なにごとも分相応をわきまえていればよい。私のささやかなつづりかたが、こうして日の目をみることになったのに思いあがらず、これからも控えめに晩年を全うしたいと考えている。
ともあれ、芝居の口上もどきになるが、すみからすみまでご厄介になりどおしの、いずれもさまに高いところからお礼を申しあげて、充筆を摘くことにする。
(「あとがき」より)
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あとがき