身不知柿 古川時夫歌集

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 1976年5月、村松武司の梨花書房から刊行された古川時夫(1918~)の歌集。著者はハンセン病患者。刊行時は国立療養所栗生楽泉園入所中。

 

 ハンセン氏病(らい)の歴史は永く、それはまだ終ってはいないし、社会的偏見と差別の夜は明けていません。しかし私たち患者の原体験が、その痛みや苦しみの激しければなおさらに、自らの生きる確かな位置をかたちづくります。
 私はあの終戦の年に、らいにまみれ、明日を約束されない日々にあって、歌を詠むことにせめて生きる証しを求めようとしました。かくして死と生の綴目からこぼれおちたかのような今日の自分をふと発見した時、すでに三〇年の歳月がわが身を突きぬけていたのです。よくも生きたし、よくも歌いつづけたものと、なかば茫然とふりかえってみるのでした。
 こんな私の病歴にも等しい歌の数々を、ここにまとめて歌集の刊行をみることは、これによって何事かを成し得たという充足感にためらいを覚える気持です。
 歌集名を『身不知柿(みしらずがき)』としたのは、ベつに他意はなく、ふるさとである会津地方の柿の名をとっただけのことであり、あえていうならば、種なしの柿のかなしさが私の身に似ていると思えたからです。また歌集の内容を、Ⅰカニューレの歌、Ⅱ凍て土の歌、と分けましたが、これは気管切開時とその後の作品を区別することで、私の拙ない歌集を理解していただくうえに役立てばと考えたのです。
 なお、歌集に収めた作品は一九五一年(昭二六)以降のもの約八○○首より自選し、さらに赤木健介先生のご選をたまわったものです。
 私にとって、この歌集『身不知柿』が、これからの生き方に一つの意欲をかきたてる足がかりとなり、私の前に立ち塞がる壁があればその壁をたたき、越えがたい障害があればそれをこえようとする翼ともなっていくことを、おこがましくも自ら願っているしだいです。おわりに赤木先生はもとより、群馬歌人の柳井喜一郎氏の大きなお力添えと、出版にあたっての村松武司氏に心から感謝申し上げますとともに、歌友の沢田五郎、浅井あい、平田政道、野崎一幸、近間修の諸氏のあたたかいご支援、また歌集原稿の作製に直接ご協力くださった谺雄二氏ら療友や職員の方々のご好意に厚くお礼申し上げるものです。
(「あとがき」より)

 

目次

  • 序にかえて 赤城健介
  • Ⅰ カニューレの歌
  • 鶏の羽根
  • Ⅱ 凍て土の歌
    『身不知柿』に寄せて 柳井嘉一郎

あとがき

 

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