2006年4月、砂子屋書房から刊行された愛敬浩一(1952~)の第8詩集。装幀は倉本修。
伊勢崎から、前橋の南側を抜けて高崎まで、二十キロ弱四十分を車で通勤している。と言っても、それぞれの街の位置関係が分からない方には、なんのイメージも湧かないかもしれない。萩原朔太郎が詩に書いた風景のはじっこの東西を、からっ風に飛ばされそうになりながら車で走っている。赤城山の麓の、荒れた北関東の風景がパノラマのような広がりをみせているわけだ。
初めは、第二部の「くちびるで」以下の諸篇を中心に構成されるはずだった本詩集が、いつの間にか妙な"通勤詩"中心の詩集になってしまったことは自分でもうまく説明できない。砂子屋書房の田村雅之氏は、「平成のカフカは車に乗っているのですね」などと言ってくれたが、もちろん、そんなしゃれたものではない。ただ、結局は「失敗でしかなかった人生」が自分なりにみえてきということだけであろう。とはいえ、私の〈詩〉は夢の側でも現実の側でもなく、その中間にいつもある、と言えなくもない。
さて、題名は、鮎川信夫の詩から思いついて「夏が過ぎるまで」とした。鮎川信夫氏とは、もちろん面識はなかった。ただ、全集完結の記念講演会に出かけて行って、遠くからその姿をかいま見ただけである。それと、遥か昔、思潮社の二十五周年記念の賞(評論)の募集があり、それに私が応募し、ある人の評論が優秀作に選ばれた際、「もう一つ挙げるとすれば」ということで、私の作品を名指ししてくれたのが鮎川氏だったのである。当時の『現代詩手帖』に最終選考の様子が掲載されたので、私もそれを知っているのだが、そのことが長い間、私の心の支えとなった。
収録した作品は、所属している詩誌『東国』の他、『詩学』『鰐組』『交野が原』『えきまえ』などに載せていただいたものである。改めて各編集者にお礼を申し上げたい。詩はやはり、詩誌をくぐりぬけないでは〈詩〉にはならないと私は信じている。
(「あとがき」より)
目次
- 朝の水やり
- 連取町
- 吉凶の四つ角
- 古代エジプトの絵のような
- 六月の一番暑い日
- いつもの羊
- 月曜日の朝
- 旅の空かよ
- 旅その他
- 理髪店にて
- いつもの四つ角
- スプーン
- カンジョウ
- 芝刈り
- くちびるで
- 夢
- ドッグ·ウォッチ
- 錨
- ミルキィウェイ
- マニラロープ
- メインマスト
- 詩はいづみちゃん先輩から湧く
- 人買い舟(閑吟集一三一番歌)
- 鹿の声
- エレクトリカル・パレード
- 遊神の湯(新治村)
- 断片 I
- 断片 2
- 水道橋のホテルにて
- 三沢
- フィレンツェ
- ハイウェイ
- 出発
あとがき