虜愁記 千葉治平

 1966年3月、文藝春秋から刊行された千葉治平(1921~1991)の長編小説。撮影は小野幹。装幀は鉄指公蔵。第54回直木賞受賞作品。刊行時の職業は東北電力秋田支店電力通信施設の工事及び保守。

 

 今から二十年ほど前のこと、ある日本兵が中国の洞庭湖畔の農村で働いているうち、中国婦人と結婚して、日本へ帰ることを断念したという話がありました。
 私はその話を耳にした時、何故か、いつまでも心に残るのを覚えました。私はその時の日本兵と中国婦人の心情と、それを受け入れた家族や村の人々の心の世界にひかれたのです。
 その兵隊は帰国する戦友たちに背を向け、どんなに孤独な思いにさいなまれたことか。なぜ、彼は帰国する日を待ちながら拠無(よんどころな)い結婚をしたのだろう。動乱の最中であるから、恋愛感情がすべてのものに先行したとは思えない。堪えながら、彼は恋愛感情を育(はぐ)くんでいったのかも知れない。……拠無い事情とは一体、何か。その拠無い事情を家族や村の人たちがどう受け入れたのか、私は一つ一つ手探りし、モデルを駆使し、自由な想像によって、埋もれ去ったこの事件を満たそうと思いました。
 広大な大陸を背景に、微小な人間たちの懸命に生きてゆく姿を書いてみたいという以前からの念願もありましたが、しかし、戦後二十年も経った今日、こんな小説を綿々と発表することには、少なからぬ抵抗感がありました。
 私は嘗ては、中国の一隅で働き、学んできた一人の青年でした。主人公、森軍曹のように中国の伝統的な文化にひかれ、中国の人々と語らい、風土に触れてきたその残像というものがあります。私の胸の中にある中国の残像は簡単に消え去るどころか、その灯のようなものが、年々鮮明になってくるような気がいたしました。憧憬とでも言うべき感情でしょうか。しかし、当時と今の中国の姿とでは、あまりにも大きく移り変っています。大きな溝もあります。
 私は古い中国しか知りませんが、中国人の忍耐強さ、勤勉、逆境にも失わぬ駘蕩たる大人の風格、信用と信義を大事にする国民的な性格なぞは、一朝一夕で変るものではないと信じております。私は戦中の中国を土台に、多くの方々の教示をいただいて拙ない想像を走らせました。
 「虜愁記」は一応完結の形をとりましたが、本当の小説は、この小説が終ったところから流れ出し、始まって行くように思います。
 私は幾らかでもそうした歴史や人生に対する想像の余地を残した小説を書きたいという念願でもあります。

(巻頭の写真は、私が秋田の山間の発電所を巡回する時のスナップです。十二月から四月迄の約半年、鳥海山奥羽山脈の麓に点在する水力発電所は、丈余の雪に鎖され、自動車が利かなくなこうして徒歩で往復しなければならないのです)
(「あとがき」より)


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