虹あるごとく 夭逝俳人列伝 村上護 

 1990年4月、本阿弥書店から刊行された村上護(1941~)の評論集。装幀は海保透。著者は大洲市生まれ。

 

 統計資料を云々するまでもなく、日本人の平均寿命が延びていることは誰もが頷き納得するところだろう。たとえば昭和二十二年は五十歳そこそこなのに現在はおよそ八十歳と、比較してみれば隔世の感がある。戦後にしてこれだから、昭和戦前、大正、明治とさかのぼれば、その差は歴然たるものだ。すなわち夭逝の年齢も時代によって変動がある。
 とにかく昭和戦後のある時期までは、才能ある若者が惜しまれつつ死ぬのも日常茶飯にあったこと。それだけ死と直面した青年は多く、おのず句作へと誘われる場合も珍しくはなく、俳句は感懐を託すに適した青春の文学たり得た時代も長かった。
 もう十年以上前になるが、私は俳句短冊の千枚余を原寸大オールカラーで収録した『明治俳句短冊集成』という本を編したことがある。その別冊として収録俳人約千人の一人ひとりに略伝をつけた。その作業を通して、俳句は時代の若者を鼓舞するに足る青春の文学だったのだなあ、とつくづく感心した思い出を持つ。それが大正、昭和とくだり、いつしかロートル化して、俳句は老年の手すさびといわれだしたのは何時のころからだろう。
 はたして戦後においても夭逝俳人は存在するのかと、私はふと疑問を持ったことがある。俳句に興味を持つ若い人がいなければ、もちろん夭逝俳人の存在するはずがない。あるいはその存在を追っかけてみれば、これは一つの戦後俳句史における側面研究になり得るのではないかと。
 それにしても夭逝者に共通していえることは、透明な精神をもって清潔な軌跡を描いていることだ。不意の事故のため他界した場合でさえも、たいてい生前には短命を透視するかのような無垢の人生を選んでいる。まして病中にあって短命を予測できる人びとは、その青春こそ清潔なものにしたかったに違いない。もちろんそれが句作にも反映されて、作品は透き通るように澄んでいる。死に裏打ちされた、そこには確かな生が脈々としているのだ。すなわち夭逝者の俳句に共通するものは、稀有な境遇にある者のみが垣間見た掛けがえのない心象であり、夭逝者のみに与えられた特権であったかもしれない。
(「あとがき」より)

 


目次

森田愛子 <虹あるごとく>
川口重美 <青春の骰子七も出でよ>
斎藤 空華 <生の證しの歌〉
鈴木しづ子 <浮塵子の如く家郷なし>
矢部栄子 <告げたきことも咳の中だ>
清原佐記子 <さかれて遠き相思仲>
森綾子 <病む妻の座の空きまゝ>
佐田恵舞子 <大雪渓吾が魂のゆくところ>
鎌田邦夫 <継ぐべき家の鍵冷ゆる>
原和男 <日永の丸太百担ぐ>
飯野放蕩子 <初陣のような葬列>
林邦彦 <己が靴音確かめゆく>
芦田きよし <青天に死者の俺の城>
足立音三 <いくとせ花に散りにけむ>
山崎和賀流 <襞の深雪を終の地に>
新桐子 <燃え尽きし夏の太陽>
安土多架志 <磔刑の基督われも磔刑>
住宅顕信 <春風の重い扉だ>

あとがき

 

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