1981年10月、思潮社から刊行された鈴木志郎康(1935~)の第17詩集。装幀は若林奮(1936~2003)。
この詩集に収められた詩は、「絵描き遊びの後」が一九七九年十月に書かれたものであるが、あとは一九八〇年の三月から八一年の三月までの一年間に書かれ、発表されたものと未発表のものとである。発表されたものでは二三手を加えたものがある。配列の順序は書かれた順序ではない。
近年発行される詩集の数はかなり多い。それは言葉を書いていなくては、自分が生きて存在しているという意識を持てなくなって来ているからであろうか。詩を書いて出すと、ようやくその詩の言葉の向う側に他人が存在しているが見えて来て、そして自分の存在感を得るということであろう。詩を中に挟んで、ようやくお互いの存在を知るという人間の存在の仕方が定着して来たのだという気がする。しかし、それが一般化して来たというには程遠い。ところで、詩が互いの存在を感得するためのものとして書かれるということは、詩の言葉に影響を与えないでは置かない。言葉に手を加える工夫とか、互いの詩に橋を架けるとか、作者自身のことを述べるとか、そういった方に一層比重がかかってくることになる。詩よりも、詩人同士を意識する意味の持たせ方に寄り掛かる傾向が生れてくる。いいも悪いもない。詩は一つの身振りになってくるのだ。(「あとがき」より)
目次
- 絵描き遊びの後
- 冷雨の温み
- 朝方の就眠
- 小さな花
- 鈴の振動
- 言語の恐怖
- 鼓動
- 王女
- 刑法の働き
- 暁方
- 道具
- その男
- 会合後
- 呼吸の差
- 融ける肉体
- 体温
- 置かれた者
- 眠る少女
- 水分の移動
- 擦り傷
- 明暗
- 製造装置
- 瑣事論
- ほとんど言葉を書き留めたくないとき
- 濁青の空
- 心理の精算
- 感情のお勘定
- 予感
- 人の風にめる傷
- 首売り
- 目覚めない、あとの
あとがき