1979年3月、花神社から刊行された黒田三郎(1912~1980)の評論集。装画は伊谷知治。
「死と死の間」というのは、ひとりの人間が心の中で思っている死と、実際の死との間というほどのことである。つまり生、と言ってしまえば身も蓋もない。人生をこういうふうにしか考えられない世代を僕は不幸だと思う。しかし、余儀ないことである。
一九七五年(昭和五十年)は戦後三十年だった。日頃僕らは目前のことにかまけて、十年、二十年、あるいは三十年、自分の一生というようなスケールでものを考えることは滅多にない。戦後三十年を迎えるにあたって、五十五歳だった僕は、たとえ八方破れでもいい、何もかもあけすけに言おうと思い、まず「死と死の間」五十枚を書いた。書いているうちに原因不明の高熱に襲われたのが、その後の致命的な病気の前兆とも知らないで。
二年間はほとんど何にもできなかった。今でもまだ心身の衰弱ははなはだしく、四年前の体力を回復することは、おぼつかない。しかし、志は変らない。身体の衰弱がこれほど精神の集中力を妨げるもりだとは、この年になるまで迂濶にも全く思い及ばなかった。なげいてみてもはじまらない。ただ八方破れで自分にできるだけのことをやる外はない。
一九五七年(昭和三十二年)刊行の評論集『内部と外部の世界』の「あとがき」で、僕は「身のほどを知らない独断的な評論などは、消え去るべき時である」とすでに記している。自分が評論を書くことに見切りをつけたのである。しかし、誤解を恐れないで言えば、「詩は批評である。」創造活動そのものは、既存のものに対する批評(作者が意識しようがしまいが)であると僕は考える。だから、批評を捨てたわけでは決してない。(「あとがき」より)
目次
- 見ず、働かず
- 意外なこと
- 病後に思うこと
- 変化の感覚
- 寂寥と孤独
- 死と死の間
- 詩をして語らしめよ
- 現代詩と私
- 暮らしの中の短歌
- 歴史をふまえた旺盛な問題意識
- 目を開いて見よ 目を閉じてなお見よ
- そばの花
- 一抹のわびしさと切返しの冴え
- 親しみをもって
- 思い出すまま
- 横山町の模範青年と田村は言う
- 昭和十年前後のこと
- 忘却の彼方
- 「蝙蝠傘の詩」について
- 「あなたは行くがいいのだ」について
- 青春の迂路
- 出逢い
あとがき
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