1967年11月、黄土社から刊行された金石稔の第1詩集。刊行当時著者は東京学芸大学3年生。
この集中、十幾篇の詩は僕がフラリと東京にやって来てから、様々な物象との関りあいのとまどいの日々、およそ十九才の頃の恐怖あるいはアンニュイの所産です。
だんだんと言葉に対していい表わせない不安を感じはじめて、今年の夏の終り頃から一つの詩も書く事が出来なくなった。「投げ出して再度出発するのだね」と誰かから言われてこの詩集を出版することになった次第です。
ある詩人が「詩は批評である」と言ったが、僕らはその存在自身が批評であっただろう。先の10・8H空港闘争でのY君の死――僕らは、Y君が死の中から叫んでいる言葉に、今この瞬間にも失なわれつつある僕らの内の何か、僕らにとってそれなしに決して生きえない何かを聞き取らねばならないだろう。叫びが単なる物理的な音としてY君の体の中へむなしく還って行き、まわりでは哀悼の言葉が散乱する――この喜劇的な現実に僕はとほうもなく大きな恐れを覚える。
単に死が他人の死であって自からのそれではない今日、僕らにとって生とは何なのか?
死んでも消えては行けない僕らの今――。
この激しい眩量の風景――。
言葉を口にすることが決して対自としての存在とのコミニケーションにならない、それ故に自らの存在の意味のはてしなく失なわれている今日の現実が苦しい。
僕は、どのような生き方をしたいと考えてから物としての体を生かしたのではなく、今のこの瞬間に僕を存在の側に直立させようとするものをただ、実感としてあじわってみたかったに過ぎない。多くの他の中に自からの否定と死を見、その重みに耐えることでわずかにこちらの側にとどまれた、今日までの二十年。
詩集として僕の詩を発表することは、これが最初であるが、おそらく今後、決して再びあり得ないことと思う。
(「あとがき」より)
目次
- 死んだ鳥
- 容器
- さらにもうひとつの時代
- 戯れに
- 弟へ
- 犬
- 鳩
- 型
- 夏の日
- 女(ひと)に
- 叫び、それは
- 途上の家
- 影・少年の幻想
- 僕らは
- 歩道
- 鶏首
金石稔について 吉野仁一
あとがき