1934(昭和9)年、芝書店から刊行された正宗白鳥(1879~1962)の自選短編小説集。装幀は実弟の正宗得三郎(1883~1962)。
私の小説集の刊行は久し振りである。最近数年間に發表した数十篇の作品のうちから、自分でこれだけを撰んだ。
そのため舊稿を翻めて讀返したのだが、勢一ぱいでこんなものしか書けなかったのかと、自己の才能の程度が明らかに分るやうに感ぜられた。
最初の短篇集が出版されてから、殆んど三十年の歳月が経過してゐる。その間に人世観察の硯野がいくらか廣まり、小説の技術も進歩したやうには思はれるが、根本の人生観或は人世観察の態度といつたやうなものは、殆んど變つてゐないと云ってもいゝ。生れながらに持って来たので、死ぬまでそれを持運んで行くのぢやないかと思はれる。しかし、これは自分ばかりでない、すべての作家が大抵さうではあるまいかと、私はひそかに考へてゐる。根本的の轉向は出来ないのではあるまいか。
故郷にゐても異郷にゐても、「私は自分自身の眼で周圍を見てゐるのだ」と、いつも意識してゐる。その意味で、自分の書いたものは自分だけには絶封に眞實であつて、神の力でもどうすることも出来ないのである。たゞ、歎すべきは、自分の才能乏しくして、自分の見聞や腦裡の感想が自在に活寫しきれないことで、書きながら讀みながらもどかしく感ぜられるのをいかともし難い。
私は、たった一年間異國を見て来たゞけである。その期間が短かくて、何處をも素通り同様であったが、そのためか、見て来た異國のさまざまが、夢の世界の姿のやうに面白く思出されるのである。「故郷」はつくづく見飽き巣ててゐる。作家になりはじめた頃から、夢の世界と陳腐の浮世とを描かんと企てながら、充分に志しを達し得なかった憾み、綿々として盡くることなかるべし。(十一月下浣、洗足池畔にて)
(「跋」より)
目次
- ある日本宿
- コロン寺縁起
- 六十の手習ひ
- 道連れ
- 世界人
- 髑髏と酒場
- 別荘の主人と留守番
- 故郷
- 二人の樂天家
- のどかな午後
- 薮睨み?
- 二人の外国人
- 今年の春
- 陳腐なる浮世
- 絶望から希望へ