時代を超える意志 昭和作家論抄  小笠原賢二

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 2001年10月、作品社から刊行された小笠原賢ニ(1946~2004)の評論集。装幀は間村俊一(1954~)。

 

 文芸評論なる領域に踏み込んでから十年ほどになる。ここには、その間に書いた作家論のうちの半分強を、テーマごとに束ねてみた。以前、文芸編集記者をやっていた頃には作家論などを書く余裕も機会もなく、作家へのインタビューや文学状況論がほとんどだった。
 大学の卒業論文で取り上げた武田泰淳以来、長い空白期を経ての作家論集がとにかくこうしてまとまったことは素直に嬉しい。
 二十代前半の作である武田泰淳論は、いま読んでみて至らなさが目立つのだが、私の批評の基本姿勢はよく出ているような気がして、いまだに愛着がある。それで、武田の初期を論じた前半部分にだけ少し手を入れ、「”二つの矛盾”との格闘」と改題して収録することにした。これだけが三十年余も前の作だが、他の論と比べてさほど違和感のない問題意識が見られるのではなかろうか。
 思えば、大学の小田切(秀雄)ゼミでの主たるテーマは、昭和十年代の文学であった。文学者がどう戦争に対処し、それが戦後の営為にいかに接続したかについて、検証と批評を加える作業を続けたが、以後、戦争と文学者の関わりに私の関心は集中しがちになった。基本姿勢が武田論にあるといったのは、このような意味においてである。
 そんなわけで、ここに収めた他の作家論にも知らず知らず、”昭和十年代問題”がかなり影を落すことになったらしい。一連の論を読み返して、そのことに気づかざるを得なかった。これらの諸論のほとんどは、各メディアからの要請によって書かれたことは確かだか、結果として同一の問題系で貫かれることになった。私の持味を生かしてくれた編集者諸氏に感謝すると同時にヽ師である小田切秀雄の影響の大きさを改めて痛感した次第である。
 起伏にとんだ昭和という時代を、この戦争と革命の激動期を、作家たちはどう生きたのか。昭和が終わってはや十余年を経たとは言え、それはいささかも過去の問題になったとは思えない。昭和二十年の敗戦から数えて毎年毎年、「戦後×年」という言いかたがなされるけれども、時代は既に新たな戦前に入っているのではないか。この十年ほどの間には湾岸戦争があり、冷戦終結後には世界各地で内乱・紛争が勃発している。つい先だっても、アメリカの政治・経済・軍事の中枢部にハイジャックによる自爆テロが行なわれておびただしい犠牲者を出した。都市部にまでゲリラ戦が及んだのである。まぎれもなく新しい戦前に、いや戦争の時代に入りつつあるとの思いを強くした。

 このような時代に、昭和史を生きた文学者たちの消息を探ることは無意味ではない。反時代精神とは何か、時流に批評的に抗するとはどういうことか。それはむしろ、きわめて未来的な問いかけに他ならない。この本は、その難問によく応答し得ているであろうか。いまはただ読者の判定を待つ他はない。(「あとがき」より) 

 

目次

第Ⅰ部 戦争との対峙

第Ⅱ部 戦後的時空での幻想

第Ⅲ部 「日本」との葛藤

  • 逃亡と脱出の情熱――松本清張『半生の記』と初期作品の精神構図
  • 反制度の継承――松本清張菊池寛の「メディア」と「読者」
  • 語り部の懐――大城立裕『日の果てから』の位置
  • 危機の超克――中野孝次『実朝考』の磁場

初出一覧
あとがき


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