2009年10月、私家版として刊行された尚泰二郎(1950~)の第7詩集。
ふと街で見かけた女性のひらひらしたスカート。おそらくジョーゼットの。絹の肌触り。布生地の感触。私の心の中に生起してきた不思議な感覚と感情。私は見るだけで、さわり心地の良い生地を触ってしまったのだ。実際に手でさわらなくても、視線がさわってしまう。これは何だろう。
私は私の視線を一瞥するだけで、そのものの声も、匂いも、見えないものまで分かってしまう。おそらく見るという行為の練磨が、私らをもっとより深い本質へと導く。見ることは網膜にただ対象をそのまま再現させることではない。見るという行為の中には視覚、嗅覚、聴覚、および触覚のあらゆる感覚が包含されている。すなわち視覚こそすべての感覚を呼び出すキーワードである。
視覚周辺のそれらの情報を即時に統合し、対象を瞬時に把握する。経験の蓄積とイメージの豊富さが対象のより立体的な表現を可能にする。
ただ残念ながら、視覚は物の表層しか描写できない。存在の深みまで降りて行くには、見るという行為の持続、すなわち凝視が重要になる。見るという行為を超越したとき、私は見えないものまで見ることができるのだ。そのとき初めて私は物の姿を見ることができるだろう。たとえば、眼を閉じたとき、初めて風のすべてを感じるように。
(「あとがき/見ることについて」より)
目次
Ⅰ
- 転生譚
- 片恋
- 風の乗客
- 鯉のぼり
- 鳥について
- 風の子供
- 風の停車場
- 台風について
- 風の中のけもの
- 愛について
- 海と空の間
- 無垢な犯罪者
- 風
- 風のつばさ
- 末期の眼
- 追憶の空
Ⅱ
- おとぎの国の午後
- 記憶のなかの妖怪
- 社員旅行
- 今日の運勢
- 秘め事
- アドバルーン
- 見合い
- エレベーター
- 水たまり
- 朝の周辺
- 春
- 未来について
- 相続
- 夏の少年
- 光市母子殺人事件
- 希望について
Ⅲ
- ひかりのなかで
- 空
- 進化論
- 植物体
- カラス
- 幽体離脱
- 謎の飛行体
- 路地の幽霊
- 空の底で
- 人さらいの館
- 捕手
- 感覚革命
- 不意の来客
- 閉会式
- 復讐
- 漂流
■エッセイ
現代詩の混迷とH氏賞の現在・
■あとがき
見ることについて