2002年9月、舷燈社から刊行された清水茂(1932~2020)の詩集。装画は宮本浩二。著者は東京生まれ、刊行時の職業は早稲田大学文学部教授、住所は埼玉県新座市。
二十世紀フランスの詩人ルヴェルディは〈詩〉に関する省察断片『馬毛の手袋』のなかに、――「作品としての詩の一つひとつは閉された部屋であり、無遠慮に訪れた者が誰でも入れるわけではない。入るまえに、自分のランプを点すだけの努力と気遣いが必要だ。この場合、ランプを使うのは読者の精神であり、知性と詩的感覚だけがこのランプの火を点しつづけていられるのだ」と書いている。彼の詩に限らず、現代のすぐれた詩を読むときに、いつもこの言葉が想い出されてくる。
私とすれば、作品以前に、詩を書くという行為に携わる場合、〈詩〉(Poésie)そのものの領域が、いったいどんなランプを持ってゆけば入ることのできる場なのかがいつも問題なのだ。それはいつでも望むときに開かれる部屋ではない。そして、扉の鍵の在処さえも自分にはわからないことが多い。
この詩集では、『光の眠りのなかで』(舷燈社、二〇〇〇年八月)以降のほぼ一年ばかりのあいだに書かれた作品を取り集めた。それらはいずれも二〇〇一年九月以前のものなので、その後の世界情勢の大きな変化のなかで、なお在ることに耐え得るものであるかどうかが気懸りでもあったが、あらためて読み直したとき、自分と世界との関係の在り方に基本的な変化はないことが確認されたように思う。
(「あとがき」より)
目次
・言葉と沈黙のはざまで
- 私の言葉、私の文言
- あなたの手が
- 早春
- 翳の深みのなかで
- 使命
- 雪景色
- 一月の夜
- 風は石にむかって
- 今朝 世界は
- 旅立ちにそなえて
- のちの日の夢の奥にまで
- 人生が子どもの顔をして
- いま五月
- なぜ私たちは
- 降ってくるものは
- 春先の雨
- 今朝 私は不審に思う
- 想いめぐらすひろがりの
- 大きな意識
- 行く手には何も
- 夢、反映
- 熱い街の風景
- 夏が過ぎる
- 晚夏
- 想い出
- 秋
- 沈黙のざわめき
- 春の予兆
- 雪の明くる日
- モーツァルトのある音楽に
- 蕪村の「鴉図」
- 決意
- 一月の風
- 満たされた沈黙
- 空いっぱいに
- 夕暮れの一瞬に
・変容する言葉の風景のなかで
・愛と名づけるもの
- 流れの音
- 茜色の空を
- 空の水溜りに
- 大きな筬
- 声
- カルナックの想い出
- 三月
- 夕暮れの空の薔薇
- 年輪の渚
- ある詩人に
- 穏かな水面のように
- ふいに地面から
- どんな手紙を
- 〈急がなければ〉
- ただひとつのものとして
- まだ私は待っている
あとがき