男娼の森 角達也

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 1949年4月、日比谷出版社から刊行された角達也の第1小説集。跋は菊岡久利(1909~1970)。

 

 さきに私は、「男娼の森」が「文藝読物」に掲載された時、無羂の変り種で、無類の変った体驗者である角達也から、平凡な作品が生れるわけがないと、不見轉で推薦の言葉をものしたことだったが、果してこれは世間の問題作となった。この話の怪奇さは、十分私たちの猟奇慾を満足させる。だがこれは作者のグロテスクの妄想の所産ではなく、生きている現実の、社会現象の、報告であることによって、猟奇以上のあるものを、私たちに感じさせる。それは現代日本を、剥き出しにした裸形の姿である。それはまた人間の、秘密の扉を開く、鍵ともなるもののようである。
 男色というもの、とくに研究したのでないから、よくは分らないが、起りは人類の発生とともにあり、洋の東西を問わず行われ、また行われつつあるということである。すでに男色があれば、男色に対應するものが、女性の間にあることも、容易に想像される。すべてこれ等は、天然の法則に背いた、性慾の倒錯であるが、倒錯が人間発生に件っているものだすれば、人間の構成のそもそもに、何かの間違いがあるのかも知れない。実際、あらゆる生物が、正しく自然の法則に従って、生殖を営んでいるのに、どうして人間だけが、自然のきめた規則を破るようになったのであろうか。
 私たちは、人とけだ物とを区別して、人は二本の足で歩行し、かつ推理する能力をもつなどと、いろいろの條件を数えている。では私たちが、四本足で這い、推理することをやめたら、性慾の倒錯もなくなるのであろうか。ともかく私たちは、人間であることをやめる以外に、解消する方法はあるまいと思われる、矛盾になやむ場合がしばしばある。人生の矛盾は性慾の倒錯にのみあるのではないのである。矛盾は永遠に負わねばならない、人生の運命だ。
 世間には、一つのイズムやイデオロギーが実現すると、あらゆる矛盾が、たちまち解消すると、妄信している人がある。だからといって私は、イズムやイデオオロギーを、無用だというのではない。それはたしかに、一つの矛盾を、解きほごす効能があるだろうからである。だが一つの矛盾が解消すると、すぐその後から新しい矛盾が起ってくるのを、知っておく必要はある。「男娼の森」は、私たちに動きのとれぬ人間の運命を、しみじみと味わせでくれるであろう。

 

昭和二十四年二月
阿部真之助 

 

目次

序 阿部真之助

跋 菊岡久利
あとがき

 

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