わたしはこの詩集を早急にまとめたいと思った。「早急」は末尾に置かれた詩が発表されて時を経ないで早速という気持である。詩を書くということが、自分にとって、はっきりと違ったことになったのを形あるものとして、自分自身に突き付けたいと思っているのだ。はっきりと違ったことになった。何がどう違ったのか。
わたしはいま、とても知りたいという欲求に駆り立てられている。当然それはありとあらゆること、森羅万象について知りたいという欲求である。それは知識を得たいということではない筈なのだが、ことばとして堆積されている知識の道を辿らなければならないのかと思うと、途方に暮れる以外にない。とても知りたいという欲求を持っていながら、何も確実には知っていない自分を見い出し、知り得そうもない所に立たされているらしいと思えて来ている。わたしは、生きている筈なのに、生きて行く術を体得できないで終るのではないか、つまり自分が生きていることを知らないままでこの人生をやり過してしまうのではないかと思えて来た。わたしにとっては全く知ることなかったことがある、という予感を得たのだ。知らないことは知らないのだから、それがあることさえもわからない、というところを超えるには、出会いと予感によらなければならないのではないか。出会いを求め、予感を感受する能力をわたしたちは持っている。生きて行く術というのは、その能力を磨き上げて最も鋭敏な状態にしておくことから始まると思える。
詩を書くことは表現ではない、と敢えていい切ってしまおう。それは生きたところの結果ではないのだ。既にある自己が外側に出て来て実現されたというものでもないし、また詩を書くことによって、輪郭の定まった自己を実現することでもない。個体としてのわたしは、さまざまな関係の結節点の一つであるといえる。そしてその結節点であるということを外すことはできない。この結節点は動いている。詩を書くことは、ことばでこの結節点を動かして行くことなのだ。従って、そのようなものを、固った作品と呼んで云々してみたところで始まらない。結節点がどんな動きをしているかを語ることはできても、もともと結節点がどんなものであってもかまわないのであるから、それの良い悪いをいっても意味がないわけである。他人の書いた詩を読んで、こちらと結ばれなければそれまでのことであろう。わたしはこの詩集によって他人とぶつかり、彼に加速を与えることを望んでも、この詩集をピンで留めるような真似はしてほしくないと思う。詩を作品として固定させる考え方は、作品の形態を売買の実体に置き換えようとする制度のもとでは絶対に拒否されなくてはならない。
この詩集は、一九八三年の三月から一九八四年の二月までの一年間にわたしが書いた詩がその順序で並べられている。それらは『壱拾壱』『現代詩手帖』『ユリイカ・現代詩の実験』『抒情文芸』『木の実』などに発表された。とりわけ『壱拾壱』は阿部岩夫、伊藤衆、伊藤比呂美、大島一、佐々木幹郎、清水哲男、ねじめ正一、藤井貞和、八木忠栄、吉増剛造らと共に自分たちで発表の場として作り出して、一年間二十四回発行したのだった。この月に二回、二十四回の発行の意図は、制度的に区切られている時間を、自らの発語の時間によって超えようとするものであった。わたし自身としては、同様の意図のもとに一昨年試みられた『四』に引き続いて、その発語のリズムは非常に気持よいものだった。それと同時に、作品を作るという呪縛から脱する機会があることを嗅ぎつけることができたと今思っているところだ。ことばで作品を作るのではなくて、ことばを書き続けることへ没入して行きたい。
わからせてほしい、知りたい。わたしはそう思っている。何を知りたいのか、あらゆることが知りたい。しかし、これは問いの答えではないのだ。自分の問いが自分の無知を広げて行ってしまう。ところで、わたしはこんなことをいってしまっていいのだろうかという不安に襲われてくるのだ。
(「自序」より)
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自序